漢文ノ読ミ方

目次

    (一)現代中国語を訓読せむ!(『わが半生』より抜粋)

    出典は不明

    大典ハ是レ在リテ[㆓]太和殿ニ[㆒]挙行スル的(もの)ナリ。在リテハ[㆓]大典之前ニ[㆒]、照ラシ[㆑]章ニ、要ス[㆘]先ヅ在リテ[㆓]中和殿ニ[㆒]接[㆓]―受シ領侍衛内大臣們(ら)的(の)叩拝ヲ[㆒]、然ル後ニ再ビ到リ[㆓]太和殿ニ[㆒]、受ケルヲ[㆗]文武百官ノ朝賀ヲ[㆖]。我被(かう)ムルコト[㆓]他(かれ)們ノ折騰シ了(をは)レルヲ[㆒]半天、加ヘテ[㆑]上ニ那天ハ天気奇冷ナリ、因リ[㆑]此ニ、当リ[㆘]他們把(もつ)テ[㆑]我ヲ抬(もた)ゲ[㆓]―到リ太和殿ニ[㆒]、放チ[㆓]―到レル又タ高ク又タ大的(なる)宝座ノ上ニ[㆒]的(の)時候ニ[㆖]、早クモ超[㆓]―過―了(せり)我的耐性限度ヲ[㆒]。我父親‘単膝’(たんしつ)側身シ、跪(ひざまづ)キテ在リ[㆓]宝座ノ下面ニ[㆒]、双手シテ扶(たす)ケ[㆑]我ヲ、不[㆑]叫(し)シメ[㆓]我ヲシテ乱動セ[㆒]。我却(かへ)ッテ‘掙扎’(さうそつ)シ著(ちゃく)シテ‘哭喊’(こくかん)シ、「我不[㆑]挨(あ)ラ[㆓]‘這児’(ここ){ニ}[㆒]、我要ス[㆑]回ルヲ[㆑]家ニ、我不[㆑]挨這児、我要スト[㆑]回[㆑]家」父親急ギテ得タリ[㆓]満頭是レ汗ナルヲ[㆒]。文武百官的三跪九叩ハ、没(な)ク[㆑]完(をは)ル没ク[㆑]了(をは)ル、我的哭叫也(も)越(いよいよ)来リテ越響キ。我父親只ダ好ク哄(だま)シテ[㆑]我ヲ説クノミ、「別(なか)レ[㆑]哭スル別[㆑]哭、快(すみ)ヤカニ完了セン、快完了セント。」

    (二)露伴訳『国訳忠義水滸伝』

    出典

    智深 ( ちしん ) また 酒興 ( しゆきよう ) 乗着 ( じようちやく ) し、 ( すべ ) 外面 ( がいめん ) ( いた ) ( ) ( とき ) 果然 ( かぜん ) 綠楊樹 ( りよくようじゆ ) ( じよう ) 一箇 ( いつこ ) 老鴉巣 ( ろうあそう ) あり。

    衆人 ( しゆうじん ) ( ) う、「 梯子 ( はしご ) ( ) りて ( のぼ ) ( ) つて 拆了 ( たくりよう ) せば、 ( また ) 耳根 ( にこん ) 清浄 ( しようじよう ) ( ) ん。」

    李四 ( りし ) 便 ( すなわ ) ( ) う、「 ( われ ) ( なんじ ) ( ため ) 盤上 ( はいのぼ ) ( ) らん、 梯子 ( はしご ) ( よう ) せず。」と。

    智深 ( ちしん ) ( そう ) ( りよう ) する 一相 ( いつそう ) ( はし ) つて 樹前 ( じゆぜん ) ( いた ) り、 直綴 ( じきとつ ) ( ) つて 脱了 ( だつりよう ) し、 右手 ( ゆうしゆ ) ( もつ ) ( した ) ( むか ) い、 ( ) ( ) つて ( さかさ ) まに 繳着 ( しやくちやく ) <注、 ( まと ) わり ( ) くる ( なり ) ( もと ) ( かえ ) ( いきおい ) をなしてというも ( ) ( なり ) し、 ( かえつ ) 左手 ( さしゆ ) ( ) つて 上截 ( じようせつ ) ( ちゅう ) 上截 ( じようせつ ) ( うえ ) ( ほう ) ( ) らえとどめる ( なり ) 。>扳住 ( はんじゆう ) し、 ( こし ) ( ) つて ( ただ ) 一趂 ( いつちん ) ( ちゅう ) ( ちん ) ( ちん ) ( おな ) じ、 ( ) ( なり ) ( いきおい ) ( じよう ) じて 追求 ( ついきゆう ) するを ( ちん ) という、ここは ( こし ) をのしたる ( なり ) ( ) (一 ( いつ ) )株 ( しゆ ) 綠楊樹 ( りよくようじゆ ) ( ) ( ) ( ) びて 抜起 ( ばつき ) す。

    ( しゆう ) 溌皮 ( はつぴ ) ( ) ( おわ ) つて、 一斉 ( いつせい ) 拝倒 ( はいとう ) して ( ) ( ) り、 ( ただ ) ( さけ ) ぶ、「 師父 ( しふ ) ( ) 凡人 ( ぼんじん ) ( あら ) ず、 ( まさ ) ( ) ( しん ) 羅漢 ( らかん ) 身体 ( しんたい ) 千万 ( せんまん ) ( きん ) 気力 ( きりよく ) ( ) くんば、 如何 ( いかん ) ( ) ( ) ( おこ ) さん。」

    智深 ( ちしん ) ( ) う、「 ( なに ) 鳥緊 ( ちようきん ) ( ) さん<注、 ( きん ) はしつかり ( なり ) ( せつ ) ( なり ) ( ちよう ) ( かろ ) しめ ( あなど ) ( ) ( ) はなす。 一句 ( いつく ) 、なんでもないことというなり。>明日 ( みようにち ) ( みな ) 洒家 ( ) ( ) ( えん ) 器械 ( きかい ) 使 ( つか ) うを ( ) よ。」

    ( しゆう ) 溌皮 ( はつぴ ) 当晩 ( とうばん ) 各自 ( かくじ ) ( さん ) ( おわ ) る。 明日 ( みようにち ) より ( はじめ ) ( ) して、 ( ) 二三十 ( にさんじつ ) ( ) 破落戸 ( ごろつき ) 智深 ( ちしん ) ( ) 匾匾的 ( へんへんてき ) <注、ひれふして> ( ふく ) し、 毎日 ( まいにち ) 酒肉 ( しゆにく ) ( ) ( きた ) りて 智深 ( ちしん ) ( ) い、 ( かれ ) ( ) ( えん ) ( けん ) 使 ( つか ) うを ( ) る。

    (三)平岡龍城訳『紅楼夢』

    出典

    這裏 ( こちら ) には 宝玉 ( ほうぎよく ) 忙忙的 ( いそいで ) 衣服 ( きもの ) 穿了 ( きて ) ( ) ( ) ると、 ( たちま ) ( あたま ) ( ) げて 林黛玉 ( りんたいぎよく ) 丁度 ( ちようど ) 前面 ( むこう ) 慢慢的 ( そろそろと ) 走著 ( ゆく ) のを ( ) たが、どうも 拭涙 ( ないて ) 様子 ( ようす ) があるので、 便忙 ( いそいで ) 趕上来 ( おいかけていつ ) て、 ( わら ) いながら、

    妹妹 ( たいさん ) 那裏 ( どこ ) 往去 ( ゆき ) なさる、して ( また ) 怎麼 ( なん ) 哭了 ( なき ) ます、 是誰 ( たれ ) ( あなた ) 得罪 ( わるいこと ) でもしたのではありませんか。」

    ( ) われて 林黛玉 ( りんたいぎよく ) 回頭 ( ふりかえ ) つて ( ) ると 宝玉 ( ほうぎよく ) なので、 勉強 ( つとめ ) ( えがお ) をつくり、

    好好的 ( まあまあ ) ( わたし ) 何曽 ( なん ) 哭了 ( なき ) ましょう」、と ( ) う。

    宝玉 ( ほうぎよく ) は、「 你瞧瞧 ( そら ) 眼睛 ( ) ( うえ ) 涙珠儿 ( なみだ ) ( ) ( のこつ ) ているではありませんか、 撒謊 ( うそをつい ) てはいけません」と、 ( ) 一面 ( ながら ) 禁不住 ( おもわず ) ( ) 抬起来 ( あげて ) ( ) ( ため ) ( なみだ ) ( ) いてやつた。

    林黛玉 ( りんたいぎよく ) ( さつそ ) 幾歩 ( いくあし ) ( あと ) 退了 ( ひいて )

    ( しつけいなこと ) ( します ) ね。 什麼 ( なん ) 這麼 ( こんな ) 動手動脚 ( いらぬことをなさる ) 。」

    すると 宝玉 ( ほうぎよく ) ( わら ) いながら、

    説話 ( はなし ) 忘了情 ( むちゆうになり ) ( おも ) わず ( ) ( ) ( よう ) なことをして 顧不的死活 ( とんだそそうをし ) ました」、と ( ことわ ) りを ( ) うた。

    林黛玉 ( りんたいぎよく ) は、

    ( あなた ) ( ) んでも ( かえつ ) 什麼 ( なに ) ( なり ) ますまいが、 只是 ( ただ ) 甚麼 ( なんだ ) ( きん ) とか、 麒麟 ( きりん ) とか ( ) ( よう ) ( もの ) 丟下了 ( ほつておいた ) なら、それは 怎麼様 ( どうなること ) でしょう。」

    この 一句話 ( こと ) は、 ( また ) 宝玉 ( ほうぎよく ) ( はつ ) ( おも ) わせ、 趕上来 ( さつそくやつてき ) て、

    ( あなた ) 這話 ( そんなこと ) ( ) いなさるは、 到底 ( いつたい ) ( それ ) ( わたし ) ( のろ ) うのですか、 還是 ( また ) ( わたし ) ( しかる ) のですか。」

    林黛玉 ( りんたいぎよく ) ( また ) そう ( ) われて、 ( まさ ) 前日 ( ぜんじつ ) ( こと ) ( かんが ) ( ) して、 ( つい ) ( みずか ) 自己 ( じぶん ) 造次 ( そそう ) なことを ( ) うたと ( ) いて、 ( さつそ ) ( わら ) いながら、

    ( あなた ) もそう 著急 ( せきこみ ) なさるな、それは ( わたし ) ( ) 錯了 ( そこない ) ましたのです、 ( それ ) 什麼的 ( なにも ) そう 筋都暴起来 ( あおすじたてて ) 急的一臉汗 ( あせをたらして ) おさわぎなさることも 御座 ( ござ ) いますまい」、と ( ) 一面 ( ながら ) 禁不住 ( たえかねて ) 近前 ( すすみで ) ( ) ( ) ( ほうぎよく ) 面上 ( かお ) ( あせ ) ( ) いてやつた。

    宝玉 ( ほうぎよく ) 半天 ( じつと ) 瞅了 ( ながめ ) ( ) たが、 ( やが ) て「 你放心 ( ごあんしんなさい ) 」との 三個字 ( さんかのじ ) 説道 ( いう ) た。

    林黛玉 ( りんたいぎよく ) ( ) いて、 ( また ) 半天 ( じつと ) 怔了 ( して ) ( ) て、

    「それじゃ ( わたし ) 什麼 ( なに ) 放心 ( あんしん ) のできぬ ( こと ) でもありますのですか。 ( わたし ) 這話 ( そのわけ ) 明白 ( わかり ) ません。 ( あなた ) ( かえつ ) 怎麼 ( なに ) 放心 ( あんしん ) とか 不放心 ( ふあんしん ) とか 説説 ( いい ) なさるのですか。」

    すると 宝玉 ( ほうぎよく ) 一口気 ( しきりと ) 嘆息 ( たんそく ) して、

    ( あなた ) ( はた ) して 這話 ( そのこと ) 明白 ( わかり ) ませぬ ( よう ) では、 難道 ( どうも ) ( わたし ) 素日 ( ふだん ) ( あなた ) 身上的 ( ことを ) ( おもう ) ( ) たことは ( ) 用錯了 ( おもいちがい ) でした、 ( あなた ) 意思 ( いし ) でさえも 体貼 ( すいりよう ) ( きれ ) ( よう ) では、 ( わたし ) 天天 ( いつも ) ( あなた ) 生気 ( おこられ ) たのは 難怪 ( もつとも ) ( わけ ) です。」

    林黛玉 ( りんたいぎよく ) は、

    果然 ( どうしても ) ( わたし ) 放心 ( あんしん ) とか 不放心 ( ふあんしん ) とか ( いうこと ) 明白 ( がてん ) がゆきません。」

    宝玉 ( ほうぎよく ) 点頭 ( うなず ) きながら ( たん ) じて、

    好妹妹 ( たいさん ) ( あなた ) 別哄我 ( どうかかくさずにいうてください ) ( ) 果然 ( はたして ) ( ) ( こと ) 明白 ( がてん ) がゆきませぬ ( よう ) では、 ( ) ( わたし ) 素日 ( ふだん ) ( こころづかい ) 白用 ( むだ ) になるばかりではありません、 ( ) ( あなた ) 素日 ( ふだん ) ( わたし ) ( たい ) する ( ) にも ( また ) ( まつた ) 辜負 ( そむく ) ( よう ) なわけになります。それは ( あなた ) ( みな ) ( すべ ) 不放心 ( ふあんしん ) 原故 ( ために ) ( まさ ) ( あなた ) 一身 ( いつしん ) ( やまい ) 弄了 ( つくつ ) ている ( よう ) なわけでしょう。 ( ) ( およ ) 寛慰些 ( きをひろくもて ) ば、 ( こん ) ( びようき ) でも 一日 ( いちにち ) 一日 ( いちにち ) ( より ) ( おも ) くなると ( ) うことは ( ) りません。」

    林黛玉 ( りんたいぎよく ) ( ) ( ことば ) ( ) くと、 ( あだか ) 轟雷掣電 ( かみなりにうたれた ) ( よう ) ( かん ) じ、 細細 ( よく ) ( これ ) ( おも ) うと、 ( つい ) 自己 ( おのれ ) 肺腑中 ( しんちゆう ) から ( しぼ ) ( ) して ( ) たよりも、 ( ) 懇切 ( こんせつ ) ( かんじ ) がして、 ( つい ) 万句 ( ありたけ ) 言語 ( ことば ) 満心 ( つくし ) ( いお ) うと ( して ) みても、 只是 ( ただ ) 半個字 ( はんじ ) ( ) えず、 ( かえつ ) 怔怔的 ( じつと ) ( ほうぎよく ) 望著 ( のぞみ ) ( ) ( ) た。

    此時 ( このとき ) 宝玉 ( ほうぎよく ) 心中 ( しんちゆう ) にも ( また ) 万句言詞 ( いろいろいいたいこと ) があつても、 一時 ( いちじ ) 那一句上 ( どこ ) から ( ) ( ) したものか ( かんが ) えがつかず、 ( かえつ ) ( また ) 怔怔的 ( じつと ) 黛玉 ( たいぎよく ) 望著 ( みつめ ) て、 両個人 ( ふたり ) ( また ) 半天 ( しばらく ) 怔了 ( じつと ) して ( ) るばかりであつた。

    頃之 ( しばらく ) すると 林黛玉 ( りんたいぎよく ) ( ) 咳了一声 ( せきばらい ) して、 ( おぼ ) えず ( その ) 両眼 ( りようがん ) から ( なみだ ) 滾下 ( ながし ) ながら、 ( ) ( かえ ) して ( ゆこ ) うとした。

    宝玉 ( ほうぎよく ) ( いそ ) 上前 ( すすみ ) いでて ( ) ( ) めて、

    好妹妹 ( たいさん ) ( ) ( ちよい ) 站住 ( おまち ) なさい、 ( わたし ) 一句話 ( いうこと ) ( ) いてから 再走 ( おいで ) なさい」と 説道 ( いう ) た。

    林黛玉 ( りんたいぎよく ) ( なみだ ) ( ) 一面 ( ながら ) ( ) ( ) ( ) けて、

    什麼 ( なにも ) 説様 ( きくよう ) なことはありませんし、 你的話 ( あなたのこと ) ( わたし ) ( はや ) 知道 ( わかつ ) ( ) ます」と、 口裏説著 ( いうて ) 頭也不回竟 ( ふりかえりもせずさつさ ) 去了 ( いつてしま ) つた。

    (四)『我的祖国』

    Nyoeghauさんによる

    一条ノ大河波浪寛(ゆる)ク、風吹ケバ稲花香シクス[㆓]两岸ヲ[㆒]。我ガ家就(すなは)チ在(○)岸上ニ住ミテ、聴キ[㆓]―慣レ―了(た)リ艄公的(の)号子ヲ[㆒]、見[㆓]―慣レ―了リ船上的白帆ヲ[㆒]。這(ここ)是レ美麗ナル的(○)祖国ナリ、是レ我ガ生長セシ的(○)地方ナリ。在(○)這ノ片ノ遼闊ナル的(○)土地ノ上ニ、到ル処都ベテ有リ[㆓]明媚ナル的(○)風光[㆒]。

    姑娘好ク像(に)[㆓]花ト一様ニ[㆒]、小伙ノ心胸多キニ寛広ナリ。為ニ[レ]了ルガ[㆔]開―[㆓]闢シ新天地ヲ[㆒]、喚―[㆓]醒シ―了リ沉睡セシ的(○)高山ヲ[㆒]、譲メ[㆔]那ノ河流ヲシテ改―[㆓]変セ了[㆕]リ模様ヲ[㆒]。這(ここ)是レ英雄的ナル祖国ナリ、是レ我ガ生長セシ的(○)地方ナリ。在(○)這ノ片ノ古老ナル的(○)土地ノ上ニ、到ル処都ベテ有リ[㆓]青春的(の)力量[㆒]。

    好キ山好キ水好キ地方ナリ、条条ノ大路都ベテ寛暢ナリ。朋友来了ラバ有リ[㆓]好キ酒[㆒]、若シ是レ那ノ豺狼来了ラバ、迎[㆓]―接スル它レヲ[㆒]的(もの)有リ[㆓]猟槍[㆒]。這(ここ)是レ強大ナル的(○)祖国ナリ、是レ我ガ生長セシ的(○)地方ナリ。在(○)這ノ片ノ温暖ナル的(○)土地ノ上ニ、到ル処都ベテ有リ[㆓]和平ナル的(○)陽光[㆒]。

    (五之一)「神女劈観」漢文訓読

    Nyoeghauさんによる

    可シ[レ]嘆ク。秋鴻ハ折レバ[レ]單(ひと)リニ復タ難ク[レ]雙(なら)ビ、痴人ハ痴怨ニ恨ミ迷狂ス。只ダ因リテ[㆔]那(あ)ノ邪ナル牲(せい)祭(せい)伏―[㆓]定スルニ禍殃ヲ[㆒]、若シ非ズンバ[㆓]巾幗拔劍スルニ[㆒]人〻皆命ヲ喪(うしな)ハン。

    凡緣朦朦トシテ仙緣滔{々タリ}、天倫散リ去レバ絳府邀フ。朱絲ヲシテ縛リ絕テ爛柯ノ樵(きこり)、雪泥鴻跡モ遙ナリ。鶴歸レバ不[レ]見エ[㆓]昔ノ華表ヲ[㆒]、蛛絲枉ゲテ結ビテ魂幡飄フ。因果紅塵渺渺タリ。煙消ユルノミ。

    「神女劈(わ)リケリ[レ]觀ヲ」到レバ[㆓]這(こ)裏(こ)ニ[㆒]本ヨリ該(まさ)ニ‹べ›«シ»[レ]‘接[㆓]―近’ス尾聲ニ[㆒]。但ダ今日我レ再ビ添ヘ[㆓]一筆ヲ[㆒]、‘唱(うた)ヒ―[㆓]與ヘテ’諸位ニ[㆒]聽カシメン。

    曲高ケレドモ未ダ‹あら›«ズ»[㆓]必ズシモ人不ンバ[一レ]識ラ、自ヅカラ有ラン[レ]‘知[㆔]―音’和スル[㆓]清詞ヲ[㆒]。紅纓獵獵トシテ劍流星ノゴトク、‘直[㆓]―指’シ怒潮ヲ[㆒]洗ヒ[レ]海ヲ清メタリ。

    彼ノ時鶴歸レバ、茫茫タル天地ニ無ク[㆓]依靠[㆒]、孤身ニテ離レ去リケリ。今日再ビ會ヘバ、新朋舊友坐リ[㆓]滿堂ニ[㆒]、共ニ聚(あつま)リタリ[㆓]此ノ時ニ[㆒]。

    (五之二)「神女劈観」漢文訓読

    Unt_Phesocaさんによる

    可シ[レ]嘆ク 秋鴻折單シテ復タ難ク[レ]雙ビ、癡人癡怨恨ミテ迷狂ス。只ダ因リ[㆔]那(そ)ノ邪(じや)牲(せい)祭(さい)伏セ―[㆓]定ムルニ禍殃ヲ[㆒]、若シ非ズンバ[㆓]巾幗ノ拔クニ[一レ]劒ヲ人ハ皆命ヲ喪フ。凡緣濛濛トシテ仙緣滔(たう)タリ、天倫散リ去リテ絳府ニ邀(もと)メラル。朱絲縛ルコト絶エ爛柯ノ樵(きこり)、雪泥鴻跡遙カナリ。鶴歸リテ不[レ]見[㆓]昔ノ華表ヲ[㆒]、蛛絲枉ゲテ結ビテ魂幡飄(ひるがへ)ルノミ。因果紅塵渺渺ト、煙消ス。『神女劈ク[レ]觀ヲ』到リテ[㆓]這(こ)裏(こ)ニ[㆒]本該(まさ)ニ‹べ›«シ»[㆔]接―[㆓]近ス尾聲ニ[㆒]、但(しか)レドモ今日我再ビ添ヘテ[㆓]一筆ヲ[㆒]、唱ヘテ與ヘテ[㆓]‘諸位’(なんぢら)ニ[㆒]聽カシメム。曲高ケレドモ未ダ[㆓]必ズシモ人不ンバアラ[一レ]識ラ、自(おのづか)ラ有リ[㆓]知音[㆒]和ス[㆓]清詞ヲ[㆒]。紅纓ハ獵獵トシテ劒ハ流星、直―[㆓]指シ怒潮ニ[㆒]洗ヒテ海(かい)清(せい)トナセン。彼ノ時鶴歸リ、茫茫タル天地ニ無ク[㆓]依(い)靠(かう)[㆒]、孤身ト離レ去リキ。今日再ビ會ヒ、新朋舊友坐スルコト滿チ[レ]堂ニ、共ニ聚マル[㆓]此ノ時ニ[㆒]。

    (六)「秦淮景」

    Nyoeghauさんによる

    我レニ有リ[㆓]一段ノ情[㆒]呀(や)、唱(うた)ヒテ―[㆓]畀(たま)ヒ拉(なんぢら)諸公ニ[㆒]聽カシメン。諸公ノ各位、靜メ呀(よ)靜メ―[㆓]靜メ心ヲ[㆒]呀。讓レ[レ]我レニ末(ば)唱ハシメ[㆓]一隻ノ「秦淮ノ景」ヲ[㆒]呀(よ)。細細タリ‘那個’(そ)レ到到タレ末(ば)、唱ヒテ―[㆓]畀ヒ拉諸公ニ[㆒]聽カシメン呀(や)。秦淮緩緩ト流レ呀、盤古カラ到ル[㆓]‘如今’(いま)ニ[㆒]。江南ノ錦繡、金陵ノ風雅ノ情呀。瞻園ノ裏ニ、堂闊(ひろ)ク宇深ク深シ呀。白鷺洲ノ水漣漣トシテ、世外桃源ナリ呀。

    (七)平岡龍城 訳『水滸伝』

    出典

    朱武にんのとうりょう跪下ひざまづきふ、哥哥あにきなんぢこれ乾淨的けつぱくな人、われため連累れんるいすることなかれ大郎わかだんななわとりきたり、我が三にん綁縛しばりいでゆいしょう免得まぬかれうべし、你を累了まきぞえしては、好看こうかんならず。

    (八)金文京 訳 『水滸伝』

    出典

    撲的ぼこつとただ一拳いつけんまさ鼻子はなうえち、鮮血せんけつほとばしながる。鼻子はなゆがみて半辺はんべんり、あたか便すなわいつけん油醤舗ゆしょうほひらるにたり、しょつぱいものすつぱいものからいもの一発いつぺんみなながたり。

    (九)「螢火蟲」

    Nyoeghauさんによる

    螢火蟲、燈《ひ》を提《ひさ》げたり、 月《ぐゑつ》色《しょく》裏《り》に在りて、輕《かる》輕《がる》として飛び舞ひたり、 愛人を期《き》盼《はん》したり、一《いつ》份《ぶん》の愛情を追ひ尋ねん。

    螢火蟲、燈を提げたり、 月色裏に在りて、輕輕として眼《がん》睛《せい》を眨《たた》きたり、 黑《こく》夜《や》裏《り》に在りて等《とう》待《たい》し、一份の光明を尋ね找《さが》さん。

    (十)「諸侯 董卓を討つ」(『三国志演義』より)

    金文京『中国小説選』

    諸(しょ)路(ろ)ノ軍(ぐん)馬(ば)、多(た)少(しょう)不[㆑]等(ひと)シカラ、有[㆓]三万ナル者[㆒]、有[㆓]一二萬ナル者[㆒]、各(おのおの)領(ひき)[㆓]イテ文武官将ヲ[㆒]投ジテ[㆓]洛陽ニ[㆒]来タリ。

    ‘且説’(さて)、一路ノ軍馬アリ、乃チ北平ノ太守、統―領シ幽州ヲ、官ハ拝セル奮武将軍ヲ、薊(けい)侯(こう)、覆(ふく)姓(せい)ハ公孫、単名ハ瓚(さん)、遼西令支ノ人也。統領シテ精兵一万五千人ヲ起発シ、路経(よ)リ徳州平原県過(よ)ギル。軍馬正行之(の)間、遙カニ見レバ桑樹ノ叢中ニ一面ノ黄旗アリテ、数騎来タリ迎エ、遠遠ニ看(かん)見(けん)シテ公孫瓚ヲ下リル馬ヲ。瓚視レバ之、乃劉玄徳也。瓚亦下馬問曰、「賢弟何故在此。」玄徳曰、「兄長失忘。旧日蒙兄保委備為平原県令、因此出城間行、偶遇尊兄到此、乃大幸也。就請兄長入城歇馬。」云云。瓚指関、張而問曰、「此何人也。」玄徳曰、「此是関某、張飛、備結義兄弟也。」瓚曰、「乃同破黄巾者乎。」玄徳曰、「皆此二人之力也。」瓚曰、「有何爵禄。」玄徳答曰、「関某為馬弓手、張飛為歩弓手。」瓚曰、「呀、空埋了大丈夫耳。今董卓作乱、天下諸侯共往誅之。賢弟可棄其為官、一同討賊、力扶漢室、若何。」玄徳曰、「願往。」張飛曰、「当日若容我殺了此賊、免有今日之事。」関某曰、「事已至此、収拾前行。」玄徳、関、張引数騎跟公孫瓚来。

    且説那十八路諸侯、那一路先到。此人身長八尺、英雄双全、横跨三江、威服六郡、富春人也。姓孫、名堅、字文台。後人有詩賛文台曰、

    誰道江南少将才

    明星夜夜照文台

    欲誅董卓安天下

    為首長沙太守来

    曹操接著孫堅。衆諸侯陸続皆到、各自安営下寨、連接二百余里。操乃宰牛殺馬、大会諸侯、商議進兵之策。太守王匡曰、「今奉大義、必立盟主,衆聴約束、然後進兵。」逓互相譲。操曰、「袁本初四世三公、門多故吏、漢朝名将之裔、可為盟主。」紹再三推辞。衆皆曰、「非本初不可為也。」紹方応允。

    次日、築台三層、遍列五方旗幟、上建白旄黄鉞、兵符将印、請紹登壇。紹整衣佩剣、慨然而上、焚香再拝。其盟曰、

    漢室不幸、皇綱失統。賊臣董卓、乗釁縦害、禍加至尊、虐流百姓、大懼淪喪社稷、剪覆四海。紹等糾合義兵、並赴国難。凡我同盟、斉心戮力、以致臣節。隕首喪元、必無二志。有渝此盟、俾墜其命、無克遺育。皇天后土、祖宗明霊、実皆鑒之。

    読畢、歃血。衆等因其辞気慨慷、遂皆涕泣横流。聞其言者、雖卒伍廝養、莫不切歯踴躍、共思誅討逆賊董卓。

    及歃血已罷、下壇。衆皆扶紹升帳、侍坐。各施礼罷、両行依爵位年歯、分列而坐。操行酒数巡、言曰、「今日既立盟主、各聴調遣、同扶天下、勿以強弱計較。」紹曰、「吾無圧衆之心、汝等推戴我為盟主、有功者必賞、有罪者必罰。国有常刑、軍有紀律、各宜遵守、毋得違犯。」衆皆曰、「惟命是聴。」紹曰、「吾弟袁術総督糧草、応付諸営、無使有欠。誰肯為前部先鋒、直抵沂水関下、誘賊相持。余皆各拠険要、以為接応。」長沙太守孫堅出曰、「堅雖不才、願為前部。」紹曰、「文台勇烈、可称此職。」随即捧杯作賀。連忙引本部人馬、大刀闊斧、奔沂水関来。有守関将差流星馬往洛陽丞相府告急。

    董卓自専大権之後、毎日飲宴、更深方散。李儒接得告急文字、径来稟覆丞相。董卓大驚、急聚衆将商議。卓曰、「今袁紹、曹操聚各路太守軍馬直抵関前、衆将有何妙計。」温侯呂布挺身出曰、「父親勿慮。吾覷関外衆多諸侯如草芥、親提虎狼之師、尽斬其首、懸於都門、呂布之願也。」卓大喜曰、「吾有奉先、高枕無優矣。」言未絶、呂布背後一人高声而出曰、「殺雞焉用牛刀。不必温侯有労虎威。吾観斬衆諸侯首級、如探囊取物。」卓視之、其人身長九尺、面如噀血、虎体狼腰、豹頭猿臂。関西人也、姓華、名雄、卓帳前第一員驍将。卓聴其言大喜、加為驍騎校尉、撥馬歩軍五万、一同李粛、胡軫、趙岑連夜便起、飛奔沂水関来。

    却説衆諸侯內、有済北相鮑信、尋思、「孫堅為其前部、若乾了大功、都不顕我等。」暗撥其弟鮑忠、先将馬歩軍三千、径抄小路、直到関下搦戦。華雄引鉄騎五百、飛下関来、大喝、「賊将休走。」鮑忠急待退、被華雄手起刀落、斬鮑忠於馬下、生擒将校極多。華雄飛馬、親提鮑忠首級、直来相府献功。卓賜雄重賞、又与鉄甲馬軍一千。雄辞董卓、上馬、部領出城、投沂水関扎住大寨。卓使人加雄為都督、且伝曰、「慎勿下関軽敵。」

    却説孫堅引四将直至関前。那四将。第一個、右北平土垠音銀人、姓程、名普、字徳謀、使一条鉄脊蛇矛、東呉第一員上将。第二個、姓黄、名蓋、字公覆、零陵人也、使鉄鞭。第三個、姓韓、名当、字義公、遼西令支人也、使口大刀。第四個、姓祖、名茂、字大栄、呉郡富春人也、使双刀。孫堅披爛銀鎧、裹赤幘、赤幘、即蜀錦抹額之類也。騎花鬃馬、横古錠刀、指関上而罵曰、「助悪匹夫、何不早降。」華雄副将胡軫曰、「某下関必斬孫堅首。」雄与兵三千、排列出関。堅見胡軫出馬、却欲自出。程普飛馬挺矛、直取胡軫。鬥不数合、程普刺中胡軫咽喉、死於馬下。一陣直殺上関、関上矢如雨下。孫堅引兵回至梁東屯住。

    堅使人於袁紹処報捷、就於袁術処催糧。或譖、「孫堅乃江東之猛虎、若打破洛陽、殺了董卓、正是除狼而得虎也。今不可与糧、彼軍必散。」術聴之、不発糧草。堅軍欠食、軍中自乱。

    細作報上関来。李粛与華雄商議、「我引一軍従小路下関、襲孫堅寨後。汝可半夜到堅寨、必然擒矣。」雄喜、連晩教軍飽餐一頓、披掛了下関。是夜月白風清。比及到堅寨、時已是半夜、鼓噪直進。堅披掛、慌忙上馬、正遇華雄。両馬相交、鬥不到数合、寨後李粛軍到、竟天放火。孫堅軍人無糧食、四下裡乱攛。堅撥回馬走、四下裡喊声不絶。程普、黄蓋、韓当各不相顧、止有祖茂跟定孫堅、与数十騎突囲而出。背後華雄追堅、堅勒回馬又戦十余合。堅敗、雄趕来。堅連放両箭、皆被華雄躲過。尽力気放第三箭、力大拽折了鵲画弓、棄弓縦馬穿林而走。祖茂曰、「主公頭上赤幘射目、雄望之、心不捨。可脱幘与茂戴之。」堅就馬上換了祖茂盔、分両路而走。華雄見赤幘者投東、引軍投東追趕。孫堅従小路得脱。祖茂被華雄追趕至急、将赤幘掛於人家焼不尽庭柱上、却於樹後潜躲。華雄軍遥見赤幘、四面囲定、不敢向前。用箭射之、方知是計。遂向前取了赤幘時、華雄縦馬尋祖茂。茂於林後、揮双刀欲劈雄。雄大喝一声、将祖茂一刀砍於馬下。雄引兵上関。程普、黄蓋、韓当都来尋見孫堅、再収拾軍馬屯紮。堅為折了鄉人祖茂、傷感不已。

    却説大寨袁紹升帳、忽流星馬報孫堅大折了一陣、祖茂歿於軍中。紹大驚曰、「誰想孫文台折於華雄之手。他孤軍在外難紮寨、有恐有劫寨兵来。」令人取回大寨計議。云云。請衆諸侯商議、都皆到了、只公孫瓚後至、紹請入帳上列坐。紹曰、「前日、鮑将軍弟不遵調遣、擅自進兵、殺身喪命、折了許多軍士。今者、孫文台又敗於華雄、挫動銳気。」諸侯並皆不語。紹舉目遍視、見公孫瓚背後立著三人、容貌異常、都背後冷笑。紹問曰、「公孫太守背後何人也。」瓚呼玄徳出、曰、「此乃自幼同舎兄弟、平原令劉備是也。」曹操曰、「莫非破黄巾劉玄徳否。」瓚曰、「然。」令劉玄徳見。紹曰、「破黄巾有功来。」瓚将玄徳功細説一遍。紹曰、「既是漢室宗派、取座来。」命坐。備曰、「小県令安有坐礼。」紹曰、「吾非敬汝名爵、吾敬汝是帝室之胄、於国多曽有功。」玄徳拝謝、於階下末座、関、張叉手侍立於後。

    正商議、探子来報、「華雄引鉄騎下関、以長竿挑著孫太守赤幘、直来寨前大罵搦戦。」紹曰、「誰敢去戦此賊。」袁術背後転出驍将俞渉、曰、「小将願往。」紹喜、便著俞渉出馬。即時報来、俞渉与華雄戦、不到三合、被華雄斬了。衆諸侯大驚、太守韓馥曰、「吾有上将潘鳳、可斬華雄。」紹急令喚至、応声而出、手提大斧上馬。去不多時、飛馬来報潘鳳又被華雄斬了。衆諸侯皆失色。袁紹拍股歎曰、「可惜吾上将顔良、文丑催軍未回。得一人在此、豈放華雄施威哉。汝衆諸侯許多将士、只無一人可追華雄。」衆官黙然。

    堦下一人大呼出曰、「小将願往、斬華雄頭献於帳下。」衆視之、見其人身長九尺五寸、髯長一尺八寸、丹鳳眼、臥蚕眉、面如重棗、声似巨鍾、立於帳前。紹問何人、公孫瓚曰、「此劉玄徳之弟関某也。」紹問見居何職、瓚曰、「跟随玄徳充馬弓手。」帳上袁術大喝曰、「汝欺吾衆諸侯無大将耶。量一弓手、安敢乱言、与我乱棒打出。」曹操急止之、曰、「公路息怒、此人既出大言、必有広学。試教出馬、如其不勝、誅亦未遅。」袁紹曰、「不然。使一弓手出戦、必被華雄恥笑。吾等如何見人。」曹操曰、「拠此人儀表非俗、華雄安知他是弓手。」

    関某曰、「如不勝、請斬我頭。」操教釃熱酒一杯、与関某飲了上馬。関某曰、「酒且斟下、某去便来。」出帳提刀、飛身上馬。衆諸侯聴得寨外鼓声大振、喊声大舉、如天摧地塌、岳撼山崩。衆皆失驚、正欲探聴、鸞鈴響処、馬到中軍、雲長提華雄之頭、擲於地上。其酒尚温。史官有詩曰、

    威鎮乾坤第一功

    轅門画鼓響鼕鼕

    雲長停盞施英勇

    酒尚温時斬華雄

    雲長出馬、只一合斬了華雄、提頭入献、衆皆大喜。玄徳背後転出張飛、高声大叫、「俺哥哥斬了華雄、不就這裡殺入関去、活拿董卓、更待何時。」掉丈八蛇矛、来搶関隘。如何幹功。

    (十一)「三拳 鎮関西を打ち殺す」(『水滸伝』より)

    金文京『中国小説選』

    史進在リテ[㆑]路(みち)ニ、免(まぬがれ)[㆓]―不[㆑]―得飢エテハ飡(くら)イ渇キテ飲ミ、夜ハ住(とど)マリ暁(あかつき)ニハ行(ゆ)クヲ[㆒]。‘独自一箇’(ただひとり)、‘行了’(ゆく)こと半(はん)月(つき)‘之上’(いじょう)、‘来―[㆓]到’(きた)レリ渭州ニ[㆒]。‘這裏’(ここ)ニ‘也’(また)有リ[㆓]経略府[㆒]。莫(な)キカト[㆑]非(あら)ザル[㆔]師(し)父(ふ)ノ王教頭在ルニ[㆓]這裏ニ[㆒]。史進便チ入(い)リ[㆑]城(まち)ニ来タリテ看ル時、‘依然’(やはり)有リ[㆓]六(りく)街(がい)三市[㆒]。‘只見’(みれば)‘一箇’(ひとつ)ノ‘小小’(ちいさ)キ茶坊(みせ)、正ニ在リ[㆓]路口ニ[㆒]。史進便チ入(はい)リ[㆓]茶‘坊’(ぼう)‘裏’(り)ニ[㆒]来タリ、揀(えら)ビ[㆓]‘一副’(ひとつ)ノ坐(ざ)位(い)[㆒]ヲ‘坐了’(すわれ)リ。茶‘博士’(はかせ)問イテ道ウ、「‘客’(きゃく)‘官’(かん)吃(の)ムヤト[㆓]甚(なん)ノ茶ヲ[㆒]。」史進道ウ、「吃ムト[㆓]箇(いつぱい)ノ泡(ほう)茶ヲ[㆒]。」茶博士点(てん)ジ[㆓]箇(いつぱい)ノ泡茶ヲ[㆒]、放(お)ク[㆓]在(○)史進ノ面(めん)前(ぜん)ニ[㆒]。史進問イテ道ウ、「這裏ノ経略府ハ在リヤト[㆓]‘何處’(いずこ)ニ[㆒]。」茶博士道ウ、「只(それ)在ルガ[㆓]前(ぜん)面ニ[㆒]便チ是(これ)ナリト。」史進道、「借(しゃ)問(もん)ス、経略府内(ない)ニ有(い)ル[㆓]箇(ひとり)ノ東京(けい)ヨリ来タル的(の)教頭王進[㆒]麽(か)。」茶博士道、「這ノ府裏ニ教頭極メテ多シ。有リ[㆓]三四(よ)箇(にん)ノ姓(せい)王ナル的(もの)[㆒]。不ト[㆑]知[㆓]‘那箇’(いずれ)カ是レ王進ナルヤヲ[㆒]。」道ウコト猶オ未ダ«ザルニ»[㆑]了ラ、只見‘一箇’(ひとり)ノ大(だい)漢、大踏(とう)步(ほ)ニテ竟(ただ)チニ入(はい)リ来タリ、走(ある)キテ進(はい)ル[㆓]茶坊裏ニ[㆒]。史進看レ[㆑]他ヲ時(ば)、是レ箇ノ軍官ノ模様。‘怎生’(いかなる)‘結束’(いでたち)カ。但(た)ダ見ル、

    頭ニハ裹(つつ)ミ[㆓]芝(し)麻(ま)羅萬字頂(ちょう)頭(とう)巾(きん)ヲ[㆒]、腦(のう)後(ご)ニ‘両箇’(ふたつ)ノ太原(げん)府紐(ちゅう)糸(し)金環アリ、上ニハ穿(き)テ[㆓]一(いち)領(りょう)ノ鸚(いん)哥(こ)緑(りょく)紵(ちょ)糸(し)戦(せん)袍(ぽう)ヲ[㆒]、腰(こし)ニハ繫(むす)ブ[㆓]一(いち)条(じょう)ノ文武双股(こ)鴉青ノ縧(とう)ヲ[㆒]。足ニハ穿(は)ク[㆓]一(いつ)双(そう)ノ鷹(よう)爪(そう)皮(ひ)四(し)縫(ほう)乾黄(おう)靴(か)ヲ[㆒]。生(うま)レ―[㆓]得タリ面(かお)ハ円ク耳大キク、鼻直(なお)ク口ハ方(ほう)ニ[㆒]。腮(さい)辺(へん)ニ一(いち)部(ぶ)ノ貉(かく)𧴜(そう)鬍(こ)鬚(しゅ)、身長八(はつ)尺(しゃく)、腰(こし)闊(ひろ)キコト十囲(い)。

    那人入到茶坊裏面坐下。茶博士便道、「客官要尋王教頭、只問這個提轄便都認得。」史進慌忙起身施礼、便道、「官人請坐拝茶。」那人見了史進長大魁偉、像条好漢、便来与他施礼。両個坐下。史進道、「小人大胆、敢問官人高姓大名。」那人道、「洒家是経略府提轄、姓魯諱個達字。敢問阿哥、你姓甚麼。」史進道、「小人是華州華陰県人氏、姓史名進。請問官人、小人有個師父、是東京八十万禁軍教頭、姓王名進、不知在此経略府中有也無。」魯提轄道、「阿哥、你莫不是史家村甚麼九紋竜史大郎。」史進拝道、「小人便是。」魯提轄連忙還礼、説道、「聞名不如見面、見面勝似聞名。你要尋王教頭、莫不是在東京悪了高太尉的王進。」史進道、「正是那人。」魯達道、「俺也聞他名字。那個阿哥不在這裏。洒家聴得説他在延安府老种経略相公処勾当。俺這渭州、却是小种経略相公鎮守。那人不在這裏。你既是史大郎時、多聞你的好名字。俺且和你上街去吃杯酒。」魯提轄挽了史進的手、便出茶坊来。魯達回頭道、「茶銭洒家自還你。」茶博士応道、「提轄但吃不妨、只顧去。」

    両個挽了肐膊、出得茶坊来。上街行得三五十歩、只見一簇衆人、囲住白地上。史進道、「兄長、我們看一看。」分開人衆看時、中間裏一個人仗著十来条桿棒、地上攤著十数個膏薬、一盤子盛著、挿把紙標児在上面、却原来是江湖上使槍棒売薬的。史進看了、却認的他、原来是教史進開手的師父、叫做打虎将李忠。史進就人叢中叫道、「師父、多時不見。」李忠道、「賢弟如何到這裏。」魯提轄道、「既是史大郎的師父、来和俺去吃三杯。」李忠道、「待小子売了膏薬、討了回銭、一同和提轄去。」魯達道、「誰奈煩等你。去便同去。」李忠道、「小人的衣飯、無計奈何。提轄先行、小人便尋将来。賢弟、你和提轄先行一歩。」魯達焦燥、把那看的人、一推一交、便罵道、「這廝們挟著屁眼撒開。不去的灑家便打。」衆人見是魯提轄、一哄都走了。李忠見魯達兇猛、敢怒而不敢言。只得陪笑道、「好急性的人。」当下収拾了行頭薬囊、寄頓了槍棒、三個人転彎抹角、来到州橋之下、一個潘家有名的酒店。門前挑出望竿、掛著酒旆、漾在空中飄蕩。怎見得好座酒肆。正是、李白点頭便飲、渕明招手回来。有詩為証。

    風払煙籠錦旆揚

    太平時節日初長

    能添壮士英雄胆

    善解佳人愁悶腸

    三尺暁垂楊柳外

    一竿斜挿杏花旁

    男児未遂平生誌

    且楽高歌入酔鄉

    三人上到潘家酒楼上、揀個済楚閣児裏坐下。魯提轄坐了主位、李忠対席、史進下首坐了。酒保唱了喏。認得是魯提轄、便道、「提轄官人、打多少酒。」魯達道、「先打四角酒来。」一面鋪下菜蔬果品案酒、又問道、「官人吃甚下飯。」魯達道、「問甚麼。但有、只顧売来、一発算銭還你。這廝只顧来聒噪。」酒保下去、随即盪酒上来。但是下口肉食、只顧将来、擺一卓子。三個酒至数杯、正説些閑話、較量些槍法、説得入港、只聴得間壁閣子裏、有人哽哽咽咽啼哭。魯達焦燥、便把碟児盞児都丟在楼板上。酒保聴得、慌忙上来看時、見魯提轄気憤憤地。酒保抄手道、「官人要甚東西、分付売来。」魯達道、「洒家要甚麼。你也須認的洒家、却恁地教甚麼人在間壁吱吱的哭、攪俺弟兄們吃酒。洒家須不曽少了你酒銭。」酒保道、「官人息怒。小人怎敢教人啼哭打攪官人吃酒。這個哭的、是綽酒座児唱的父子両人。不知官人們在此吃酒、一時間自苦了啼哭。」魯提轄道、「可是作怪。你与我喚的他来。」酒保去叫、不多時、只見両個到来前面。一個十八九歳的婦人、背後一個五六十歳的老児、手裏拿串拍板、都来到面前。看那婦人、雖無十分的容貌、也有些動人的顔色。但見、

    蓬鬆雲髻、挿一枝青玉簪児。裊娜繊腰、系六幅紅羅裙子。素白旧衫籠雪体、淡黄軟襪襯弓鞋。娥眉緊蹙、汪汪涙眼落珍珠。粉面低垂、細細香肌消玉雪。若非雨病雲愁、定是懐憂積恨。大体還他肌骨好、不搽脂粉也風流。

    那婦人拭著涙眼、向前来深深的道了三個万福。那老児也都相見了、魯達問道、「你両個是那裏人家。為甚啼哭。」那婦人便道、「官人不知、容奴告稟。奴家是東京人氏、因同父母来這渭州投奔親眷、不想搬移南京去了。母親在客店裏染病身故。子父二人、流落在此生受。此間有個財主、叫做鎮関西鄭大官人、因見奴家、便使強媒硬保、要奴作妾。誰想写了三千貫文書、虚銭実契、要了奴家身体。未及三個月、他家大娘子好生利害、将奴趕打出来、不容完聚。著落店主人家、追要原典身銭三千貫。父親懦弱、和他争執不的。他又有銭有勢。当初不曽得他一文、如今那討銭来還他。没計奈何、父親自小教得奴家些小曲児、来這裏酒楼上趕座子。毎日但得些銭来、将大半還他、留些少子父們盤纏。這両日酒客稀少、違了他銭限、怕他来討時受他羞恥。子父們想起這苦楚来、無処告訴、因此啼哭。不想誤触犯了官人、望乞恕罪、高擡貴手。」魯提轄又問道、「你姓什麼。在那個客店裏歇。那個鎮関西鄭大官人在那裏住。」老児答道、「老漢姓金、排行第二。孩児小字翠蓮。鄭大官人便是此間状元橋下売肉的鄭屠、綽号鎮関西。老漢父子両個、只在前面東門裏魯家客店安下。」魯達聴了、道、「呸。俺只道那個鄭大官人、却原来是殺豬的鄭屠。這個腌臢潑才、投托著俺小种経略相公門下、做個肉鋪戶、却原来這等欺負人。」回頭看著李忠、史進道、「你両個且在這裏、等洒家去打死了那廝便来。」史進、李忠抱住勧道、「哥哥息怒。明日却理会。」両個三回五次勧得他住。

    魯達又道、「老児、你来、洒家与你些盤纏。明日便回東京去、如何。」父子両個告道、「若是能勾得回鄉去時、便是重生父母、再長爺娘。只是店主人家如何肯放。鄭大官人須著落他要銭。」魯提轄道、「這個不妨事。俺自有道理。」便去身辺摸出五両来銀子、放在桌上、看著史進道、「洒家今日不曽多帯得些出来。你有銀子、借些与俺。洒家明日便送還你。」史進道、「直甚麼、要哥哥還。」去包裹裏取出一錠十両銀子、放在桌上。魯達看著李忠道、「你也借些出来与灑家。」李忠去身辺摸出二両来銀子。魯提轄看了、見少、便道、「也是個不爽利的人。」魯達只把這十五両銀子与了金老、分付道、「你父子両個将去做盤纏。一面収拾行李。俺明日清早来発付你両個起身。看那個店主人敢留你。」金老並女児拝謝去了。魯達把這二両銀子去還了李忠。三人再吃了両角酒、下楼来、叫道、「主人家、酒銭洒家明日送来還你。」主人家連声応道、「提轄只顧自去、但吃不妨。只怕提轄不来賒。」三個人出了潘家酒肆、到街上分手。史進、李忠各自投客店去了。只説魯提轄回到経略府前下処、到房裏、晩飯也不吃、気憤憤的睡了。主人家又不敢問他。

    再説金老得了這一十五両銀子、回到店中、安頓了女児。先去城外遠処覓下一輛車児、回来収拾了行李、還了房宿銭、算清了柴米銭、只等来日天暁。当夜無事。

    次早五更起来、子父両個先打火做飯吃罷、収拾了。天色微明、只見魯提轄大踏歩走入店裏来、高声叫道、「店小二、那裏是金老歇処。」小二哥道、「金公、提轄在此尋你。」金老開了房門、便道、「提轄官人裏面請坐。」魯達道、「坐甚麼。你去便去、等甚麼。」金老引了女児、挑了担児、作謝提轄、便待出門。店小二攔住道、「金公那裏去。」魯達問道、「他少你房銭。」小二道、「小人房銭、昨夜都算還了。須欠鄭大官人典身銭、著落在小人身上看管他哩。」魯提轄道、「鄭屠的銭、洒家自還他。你放這老児還鄉去。」那店小二那裏肯放。魯達大怒、叉開五指、去那小二臉上只一掌、打的那店小二口中吐血。再復一拳、打下当門両個牙歯。小二扒将起来、一道煙走了。店主人那裏敢出来攔他。金老父子両個、忙忙離了店中、出城自去尋昨日覓下的車児去了。

    且説魯達尋思、恐怕店小二趕去攔截他、且向店裏掇条凳子、坐了両個時辰。約莫金公去的遠了、方才起身、逕投状元橋来。

    且説鄭屠開著両間門面、両副肉案、懸掛著三五片豬肉。鄭屠正在門前櫃身內坐定、看那十来個刀手売肉。魯達走到門前、叫声鄭屠。鄭屠看時、見是魯提轄、慌忙出櫃身来、唱喏道、「提轄恕罪。」便叫副手、「掇条凳子来、提轄請坐。」魯達坐下道、「奉著経略相公鈞旨、要十斤精肉、切做臊子。不要見半点肥的在上頭。」鄭屠道、「使頭、你們快選好的切十斤去。」魯提轄道、「不要那等腌臢廝們動手、你自与我切。」鄭屠道、「説得是、小人自切便了。」自去肉案上揀了十斤精肉、細細切做臊子。那店小二把手帕包了頭、正来鄭屠家報説金老之事、却見魯提轄坐在肉案門辺、不敢攏来、只得遠遠的立住在房檐下望。這鄭屠整整的自切了半個時辰、用荷葉包了、道、「提轄、教人送去。」魯達道、「送甚麼。且住、再要十斤、都是肥的、不要見些精的在上面、也要切做臊子。」鄭屠道、「却才精的、怕府裏要裹餛飩。肥的臊子何用。」

    魯達睜著眼道、「相公鈞旨分付洒家、誰敢問他。」鄭屠道、「是合用的東西、小人切便了。」又選了十斤実膘的肥肉、也細細的切做臊子、把荷葉来包了。整弄了一早辰、却得飯罷時候。那店小二那裏敢過来。連那正要買肉的主顧、也不敢攏来。鄭屠道、「著人与提轄拿了、送将府裏去。」魯達道、「再要十斤寸金軟骨、也要細細地剁做臊子、不要見些肉在上面。」鄭屠笑道、「却不是特地来消遣我。」魯達聴罷、跳起身来、拿著那両包臊子在手裏、睜眼看著鄭屠説道、「洒家特的要消遣你。」把両包臊子、劈面打将去、却似下了一陣的肉雨。鄭屠大怒、両条忿気従腳底下直沖到頂門、心頭那一把無明業火、焰騰騰的按納不住、従肉案上搶了一把剔骨尖刀、托地跳将下来。魯提轄早抜歩在当街上。衆隣舎並十来個火家、那個敢向前来勧。両辺過路的人、都立住了腳、和那店小二也驚的呆了。

    鄭(てい)屠(と)ハ右手ニ拿(も)チ[㆑]刀(かたな)ヲ、左手ハ便チ来タリテ要ルモ[㆑]揪(つか)マント[㆓]魯(ろ)達(だつ)ヲ[㆒]、被(よ)リ[㆓]這(こ)ノ魯提轄(かつ)ニ[㆒]就キテ[㆑]勢イニ按(おさ)エ―[㆓]住(とど)メ左手ヲ[㆒]、‘趕將’(おい)入(はい)リ去(ゆ)キテ、望(むか)[㆓]イテ‘小腹’(したはら)ノ上ニ[㆒]只一(ひと)腳(あし)、‘騰地’(とんと)踢(け)リ[㆓]―倒サ―了(る)在(○)当(とう)街(かい)ノ上ニ[㆒]。魯達ハ再(さら)ニ入(はい)リ[㆓]一(いつ)步(ぽ)[㆒]、踏(ふ)ミ[㆓]―住(おさ)エ‘胸脯’(むね)ヲ[㆒]、提(も)チ[㆓]―起(あ)ゲ那(か)ノ醋(す)ノ‘鉢児’(はち)ノ‘大小’(おおきさ)ノ‘拳頭’(げんこつ)ヲ[㆒]、看―[㆓]着(て)這ノ鄭屠ヲ[㆒]道(い)ウ、「‘洒家’(わし)ハ始(はじ)メテ投(とう)ジテヨリ[㆓]老种(ちゅう)経(けい)略相(しょう)公(こう)ニ[㆒]、做(な)リ―[㆓]到(いた)レバ関西(ぜい)五路ノ廉訪使ニ[㆒]、也(また)不[㆑]枉(あだ)ナラザル―[㆔]了(な)リ叫(よ)ビ―[㆓]做(な)スモ鎮(ちん)関西ト[㆒]。你(おまえ)ハ是レ箇(ひとり)ノ売ル[㆑]肉ヲ的(の)操ル[㆑]刀ヲ屠(と)戸(こ)、狗(いぬ)一(いつ)般(ばん)的(の)人(もの)、也叫ビ―[㆓]做スカ鎮関西ト[㆒]。你‘如何’(いか)デ強(しい)テ‘騙[㆓]―了’(かどわかせ)ルヤト金翠蓮ヲ[㆒]。」

    ‘撲的’(ぼこつと)只一拳、正ニ打チ[㆓]在‘鼻子’(はな)ノ上ヲ[㆒]、打得(て)鮮血迸リ流ル。‘鼻子’(はな)ハ歪(ゆが)ミテ在リ[㆓]半(はん)辺(べん)ニ[㆒]、却(あたか)モ便チ似タリ[㆑]開キ了ルニ―[㆓]個(いつけん)ノ油醬鋪ヲ[㆒]、醎(しょつぱい)的(もの)、酸(すつぱい)的、辣的、‘一発’(いつぺん)ニ都(みな)滾(なが)レ出デ来タリ。鄭屠ハ掙(こら)エ不[㆑]起(き)レ来(ニ)、那把(の)尖(せん)刀(とう)ヲ也(も)丢(す)テ[㆓]在一(いつ)辺(ぺん)ニ[㆒]、‘口裏’(くち)ニ只(ひたすら)叫(さけ)ブ[㆓]「打チ得(て)好(よ)シト[㆒]。」魯達ハ罵(ののし)リ道ウ、「‘直娘賊’(こんちくしょう)、還(まだ)敢エテ応(ごた)エスト[㆑]口(くち)。」提チ―[㆓]起ゲ拳頭ヲ[㆒]来タリテ、就キテ[㆓]眼(め)ノ眶(ふち)ノ際(きわ)ノ‘眉稍’(まゆね)ニ[㆒]只一拳、打チ得眼ハ睖(ぼ)ケ縫(ふち)ハ裂(さ)ケ、‘烏珠’(めんたま)迸(はじ)ケ出デテ、也(また)似(ごと)ク[㆘]開―[㆓]了箇(いつけん)ノ彩帛(はく)舖ヲ[㆒]的(もの)ノ[㆖]、紅(あかい)的、黒(くろい)的、絳(まつかな)的、都‘滾將’(ながれ)出デ来タレリ。

    両辺看的人、懼怕魯提轄、誰敢向前来勧。鄭屠当不過、討饒。魯達喝道、「咄。你是個破落戶。若是和俺硬到底、洒家倒饒了你。你如何叫俺討饒、洒家却不饒你。」只一拳、太陽上正著、却似做了一個全堂水陸的道場、磬児鈸児鐃児一斉響。魯達看時、只見鄭屠挺在地下、口裏只有出的気、没了入的気、動撣不得。魯提轄仮意道、「你這廝詐死、洒家再打。」只見麺皮漸漸的変了。魯達尋思道、「俺只指望痛打這廝一頓、不想三拳真個打死了他。洒家須吃官司、又没人送飯。不如及早撒開。」抜歩便走。回頭指著鄭屠屍道、「你詐死。洒家和你慢慢理会。」一頭罵、一頭大踏歩去了。街坊隣舎並鄭屠的火家、誰敢向前来攔他。

    魯提轄回到下処、急急巻了些衣服盤纏、細軟銀両、但是旧衣粗重、都棄了。提了一条斉眉短棒、奔出南門、一道煙走了。

    (十三)「高老荘の妖怪むこ」(『西遊記』より)

    金文京『中国小説選』

    師徒們行了五七日荒路、忽一日天色将晩、遠遠的望見一村人家。三蔵道、「悟空、你看那壁廂有座山荘相近、我們去告宿一宵、明日再行何如。」行者道、「且等老孫去看看吉凶、再作区処。」那師父挽住糸韁、這行者定睛観看。

    行者看罷道、「師父請行、定是一村好人家、正可借宿。」那長老催動白馬、早到街衢之口。又見一個少年、頭裹綿布、身穿藍襖、持傘背包、斂褌劄褲、腳踏著一双三耳草鞋、雄糾糾的、出街忙走。行者順手一把扯住道、「那裡去。我問你一個信児、此間是甚麼地方。」那個人只管苦掙、口裡嚷道、「我荘上没人、只是我好問信。」行者陪著笑道、「施主莫悩。『与人方便、自己方便。』你就与我説説地名何害。我也可解得你的煩悩。」那人掙不脱手、気得乱跳道、「蹭蹬、蹭蹬。家長的屈気受不了、又撞著這個光頭、受他的清気。」

    行者道、「你有本事、劈開我的手、你便就去了也罷。」那人左扭右扭、那裡扭得動、却似一把鉄鈐拑住一般。気得他丟了包袱、撇了傘、両隻手雨点似来抓行者。行者把一隻手扶著行李、一隻手抵住那人、憑他怎麼支吾、只是不能抓著。行者愈加不放、急得爆燥如雷。三蔵道、「悟空、那裡不有人来了。你再問那人就是、只管扯住他怎的。放他去罷。」行者笑道、「師父不知、若是問了別人没趣、須是問他、才有買売。」那人被行者扯住不放、只得説出道、「此処乃是烏斯蔵国界之地、喚做高老荘。一荘人家有大半姓高、故此喚做高老荘。你放了我去罷。」行者又道、「你這様行装、不是個走近路的。你実与我説、你要往那裡去、端的所幹何事、我纔放你。」

    那老者戴一頂烏綾巾、穿一領蔥白蜀錦衣、踏一双糙米皮的犢子靴、繫一条黒緑絛子、出来笑語相迎、便叫、「二位長老、作揖了。」三蔵還了礼、行者站著不動。那老者見他相貌兇醜、便就不敢与他作揖。行者道、「怎麼不唱老孫喏。」那老児有幾分害怕、叫高才道、「你這小廝却不弄殺我也。家裡現有一個醜頭怪脳的女婿打発不開、怎麼又引這個雷公来害我。」行者道、「老高、你空長了許大年紀、還不省事。若専以相貌取人、乾浄錯了。我老孫醜自醜、却有些本事。替你家擒得妖精、捉得鬼魅、拿住你那女婿、還了你女児、便是好事、何必諄諄以相貌為言。」太公見説、戦兢兢的、只得強打精神、叫声、「請進。」這行者見請、才牽了白馬、教高才挑著行李、与三蔵進去。他也不管好歹、就把馬拴在敞庁柱上、扯過一張退光漆交椅、叫師父坐下。他又扯過一張椅子、坐在傍辺。那高老道、「這個小長老、倒也家懐。」行者道、「你若肯留我住得半年、還家懐哩。」

    坐定、高老問道、「適間小价説、二位長老是東土来的。」三蔵道、「便是。貧僧奉朝命往西天拝仏求経、因過宝荘、特借一宿、明日早行。」高老道、「二位原是借宿的、怎麼説会拿怪。」行者道、「因是借宿、順便拿幾個妖怪児耍耍的。動問府上有多少妖怪。」高老道、「天哪。還吃得有多少哩、只這一個妖怪女婿、已被他磨慌了。」行者道、「你把那妖怪的始末、有多大手段、従頭児説説我聴、我好替你拿他。」高老道、「我們這荘上、自古至今、也不暁得有甚麼鬼祟魍魎、邪魔作耗。只是老拙不幸、不曽有子、止生三個女児、大的喚名香蘭、第二的名玉蘭、第三的名翠蘭。那両個従小児配与本荘人家。止有小的個要招個女婿、指望他与我同家過活、做個養老女婿、撐門抵戶、做活当差。不期三年前、有一個漢子、模様児倒也精緻。他説是福陵山上人家、姓豬、上無父母、下無兄弟、願与人家做個女婿。我老拙見是這般一個無根無絆的人、就招了他。一進門時、倒也勤謹、耕田耙地、不用牛具。収割田禾、不用刀杖。昏去明来、其実也好。只是一件、有些会変嘴臉。」

    行者道、「‘怎麽’(いか)樣(よう)変ワルヤト。」高老道、「初テ来タル時ハ是レ‘一条’(ひとり)ノ黒(くろ)‘胖漢’(でぶ)、‘後来’(のち)ニ‘就’(すなわ)チ変ワリテ做(な)ル[㆓]一個ノ長イ嘴(くち)大キナ耳(みみ)朶(たぶ)的‘獃子’(うすのろ)ニ[㆒]。脳(あたま)ノ後ロニ又(また)有リ[㆓]‘一溜’(ひとすじ)ノ‘鬃毛’(たてがみ)[㆒]、‘身体’(からだ)ハ‘粗糙’(ぶこつ)ニテ怕(おそ)レシメ[㆑]人ヲ、‘頭臉’(かおつき)就チ象(に)ル[㆓]個(いつぴき)ノ猪(ぶた)的模様ニ[㆒]。食腸却ッテ又甚ダ大キク、‘一頓’(いつかい)要ス[㆑]喫(くら)ウ[㆓]三五斗(と)ノ米(べい)飯(はん)ヲ[㆒]。‘早間’(あさ)ノ点心モ、也(また)得テ[㆓]百十(じつ)個(こ)ノ焼餅ヲ[㆒]纔ニ勾(た)ル。

    喜得還吃斎素。若再吃葷酒、便是老拙這些家業田産之類、不上半年、就吃個罄浄。」三蔵道、「只因他做得、所以吃得。」高老道、「吃還是件小事。他如今又会弄風、雲来霧去、走石飛砂、諕得我一家並左隣右舎、俱不得安生。又把那翠蘭小女関在後宅子裡、一発半年也不曽見面、更不知死活如何。因此知他是個妖怪、要請個法師与他去退去退。」行者道、「這個何難。老児你管放心、今夜管情与你拿住、教他写了退親文書、還你女児如何。」高老大喜道、「我為招了他不打緊、壊了我多少清名、疏了我多少親眷。但得拿住他、要甚麼文書。就煩与我除了根罷。」行者道、「容易、容易。入夜之時、就見好歹。」

    老児十分歓喜、才教展抹桌椅、擺列斎供。斎罷将晩、老児問道、「要甚兵器。要多少人随。趁早好備。」行者道、「兵器我自有。」老児道、「二位只是那根錫杖、錫杖怎麼打得那個妖精。」行者随於耳內取出一個繡花針来、捻在手中、迎風幌了一幌、就是碗来粗細的一根金箍鉄棒、対著高老道、「你看這条棍子、比你家兵器如何。可打得這怪否。」高老又道、「既有兵器、可要人跟。」行者道、「我不用人、只是要幾個年高有徳的老児、陪我師父清坐閑敘、我好撇他而去。等我把那妖精拿来、対衆取供、替你除了根罷。」那老児即喚家僮、請了幾個親故朋友。一時都到、相見已畢、行者道、「師父、你放心穏坐、老孫去也。」

    你看他揝著鉄棒、扯著高老道、「你引我去後宅子裡妖精的住処看看。」高老遂引他到後宅門首。行者道、「你去取鑰匙来。」高老道、「你且看看、若是用得鑰匙、却不請你了。」行者笑道、「你那老児年紀雖大、却不識耍。我把這話児哄你一哄、你就当真。」走上前、摸了一摸、原来是銅汁灌的鎖子。狠得他将金箍棒一搗、搗開門扇、裡面却黒洞洞的。行者道、「老高、你去叫你女児一声、看他可在裡面。」那老児硬著胆叫道、「三姐姐。」那女児認得是他父親的声音、才少気無力的応了一声道、「爹爹、我在這裡哩。」行者閃金睛、向黒影裡仔細看時、你道他怎生模様。但見那、

    雲鬢乱堆無掠

    玉容未洗塵淄

    一片蘭心依旧

    十分嬌態傾頹

    桜唇全無気血

    腰肢屈屈偎偎

    愁蹙蹙蛾眉淡

    痩怯怯語声低

    他走来看見高老、一把扯住、抱頭大哭。行者道、「且莫哭、且莫哭。我問你、妖怪往那裡去了。」女子道、「不知往那裡去。這些時、天明就去、入夜方来。雲雲霧霧、往回不知何所。因是暁得父親要祛退他、他也常常防備、故此昏来朝去。」行者道、「不消説了。老児、你帯令愛往前辺宅裡、慢慢的敘闊、譲老孫在此等他。他若不来、你却莫怪。他若来了、定与你剪草除根。」那老高歓歓喜喜的把女児帯将前去。

    行者却弄神通、揺身一変、変得就如那女子一般、独自個坐在房裡等那妖精。不多時、一陣風来、真個是走石飛砂。那陣狂風過処、只見半空裡来了一個妖精、果然生得醜陋、黒臉短毛、長喙大耳。穿一領青不青、藍不藍的梭布直裰、繫一条花布手巾。行者暗笑道、「原来是這個買売。」好行者、却不迎他、也不問他、且睡在床上推病、口裡哼哼嘖嘖的不絶。那怪不識真仮、走進房、一把摟住、就要親嘴。行者暗笑道、「真個要来弄老孫哩。」即使個拿法、托著那怪的長嘴、叫做個小跌。漫頭一抖、撲的摜下床来。那怪爬起来、扶著床辺道、「姐姐、你怎麼今日有些怪我。想是我来得遅了。」行者道、「不怪、不怪。」那妖道、「既不怪我、怎麼就丟我這一跌。」行者道、「你怎麼就這等様小家子、就摟我親嘴。我因今日有些不自在。若毎常好時、便起来開門等你了。你可脱了衣服睡是。」那怪不解其意、真個就去脱衣。行者跳起来、坐在浄桶上。那怪依旧復来床上摸一把、摸不著人、叫道、「姐姐、你往那裡去了。請脱衣服睡罷。」行者道、「你先睡、等我出個恭来。」那怪果先解衣上床。

    行者忽然嘆口気、道声、「造化低了。」那怪道、「你悩怎的。造化怎麼得低的。我得到了你家、雖是吃了些茶飯、却也不曽白吃你的、我也曽替你家掃地通溝、搬磚運瓦、築土打牆、耕田耙地、種麦挿秧、創家立業。如今你身上穿的錦、戴的金、四時有花果享用、八節有蔬菜烹煎、你還有那些児不趁心処、這般短嘆長吁、説甚麼造化低了。」行者道、「不是這等説。今日我的父母隔著牆、丟磚料瓦的、甚是打我罵我哩。」那怪道、「他打罵你怎的。」行者道、「他説我和你做了夫妻、你是他門下一個女婿、全没些児礼体。這様個醜嘴臉的人、又会不得姨夫、又見不得親戚、又不知你雲来霧去、端的是那裡人家、姓甚名誰、敗壊他清徳、玷辱他門風、故此這般打罵、所以煩悩。」那怪道、「我雖是有些児醜陋、若要俊、却也不難。我一来時、曽与他講過、他願意方才招我。今日怎麼又説起這話。我家住在福陵山雲桟洞。我以相貌為姓、故姓豬、官名叫做豬剛鬣。他若再来問你、你就以此話与他説便了。」行者暗喜道、「那怪却也老実、不用動刑、就供得這等明白。既有了地方、姓名、不管怎的也拿住他。」

    行者道、「他要(す)ル[㆘]請(まね)イテ[㆓]法師ヲ来タリ拿(とら)エント[上レ]你(おまえ)ヲ哩(なり)ト。」那(そ)ノ怪笑イテ道ウ、「‘睡著’(ねむれ)、睡著、莫レ[㆑]採(かま)ウ[㆑]他ニ。我ニ有ラバ[㆓]天罡数的変化ト、九歯的‘釘鈀’(くまで)[㆒]、怕(おそ)レン[㆒]‘甚麽’(なん)ノ法師和尚道士ヲ[㆒]。‘就是’(たとえ)你ノ‘老子’(おやじ)有リテ[㆓]虔心[㆒]、請(こ)ウモ[㆑]下ダルヲ[㆓]九天ノ蕩魔祖師ノ下界ニ[㆒]、我也(また)曽テ与[㆑]他ト做リ―[㆓]過(た)レバ相識ニ[㆒]、他モ也(また)不[㆔]敢エテ‘怎―[㆓]的’(いかん)トスルナシト我ヲ[㆒]。」行者道、「他説(い)ウ、請(まね)キ[㆘]一個ノ五百年前ニ大(おお)イニ鬧(さわ)ガセシ[㆓]天宮ヲ[㆒]、姓ハ孫的斉天大聖ヲ[㆖]、要ル[㆓]来タリテ拿(つか)マエント[一レ]你ヲ哩(なり)。」那ノ怪聞[㆓]キ―得(て)‘這個’(この)‘名頭’(なまえ)ヲ[㆒]、就有[㆓]三分害怕[㆒]道、「既是這等説、我去了罷。両口子做不[㆑]成了。」行者道、「你怎的就去。」那怪道、「你不[㆓]知道[㆒]、那鬧[㆓]天宮[㆒]的弼馬温、有[㆓]些本事[㆒]、只恐我弄[㆑]他不[㆑]過、低―[㆓]了名頭[㆒]、不[㆑]象[㆓]模様[㆒]。」他套―[㆓]上衣服[㆒]、開―[㆓]了門[㆒]、往[㆑]外就走、被[㆓]行者[㆒]一把扯住、将[㆓]自己臉上[㆒]抹了一抹、現―[㆓]出原身[㆒]喝道、「好妖怪、那裏走。你抬[㆑]頭看看、我是那個。」那怪転―[㆓]過眼[㆒]来、看―[㆓]見行者咨牙倈嘴、火眼金睛、磕頭毛臉、就是個活雷公相似[㆒]、慌得他手麻腳軟、劃剌的一声、掙破―[㆓]了衣服[㆒]、化[㆓]狂風[㆒]脱[㆑]身而去。行者急上前、掣[㆓]鉄棒[㆒]、望[㆑]風打―[㆓]了一下[㆒]。那怪化[㆓]万道火光[㆒]、径転[㆓]本山[㆒]而去。行者駕[㆑]雲随[㆑]後趕来、叫[㆓]声「那裡走[㆒]。你若上[㆑]天、我就趕到[㆓]斗牛宮[㆒]。你若入[㆑]地、我就追至[㆓]枉死獄[㆒]。」咦。畢竟不[㆑]知這一去、趕至[㆓]何方[㆒]、有[㆓]何勝敗[㆒]、且聴[㆓]下回分解[㆒]。

    (十四)「西湖雨中の邂逅」(『白娘子永鎮雷峰塔』より)

    金文京『中国小説選』

    山外ノ青山(ざん)楼外ノ楼

    西(せい)湖(こ)ノ歌舞‘幾時’(いつ)カ休(や)マン

    暖(だん)風(ぷう)薰(くん)ジ得(え)テ遊人ハ醉(よ)イ

    直チニ把(もつ)テ[㆓]杭州ヲ[㆒]作(な)ス[㆒]汴州ト[㆓]

    ‘話説’(さて)、西湖ノ景致、山水鮮(せん)明ナリ。晋(しん)朝ノ咸(かん)和年間、山水大イニ発(はつ)シ、洶(きょう)湧(ゆう)トシテ流―[㆓]入スルニ西門ニ[㆒]、忽(こつ)然(ぜん)トシテ水ノ内ニ有リ[㆓]牛一(いつ)頭(とう)[㆒]、見レバ渾(こん)身(しん)金(こん)色(じき)ナリ。後ニ水退(しりぞ)キテ、其ノ牛随(したが)イテ行(ゆ)キ至リ[㆓]北山ニ[㆒]、不[㆑]知[㆓]‘去向’(ゆくえ)ヲ[㆒]。鬨(さわが)セ―[㆓]動カシ杭州市(し)上(じょう)之人ヲ[㆒]、皆以テ為シ[㆓]顕(げん)化(げ)ト[㆒]、‘所以’(ゆえ)ニ建(こん)―[㆓]立(りゅう)シ一(いち)寺(じ)ヲ[㆒]、名(な)ヅケテ曰ク[㆓]金牛(ぎゆう)寺(じ)ト[㆒]。西門即チ今(いま)之湧金門ナリ。立テ[㆓]一座ノ廟(びょう)ヲ[㆒]、号(ごう)ス[㆓]金華将軍ト[㆒]。当時有リ[㆓]一(ひとり)ノ番僧(そう)[㆒]、法名(みょう)ハ渾寿羅。到リテ[㆓]此ノ武林郡ニ[㆒]雲(うん)遊シ、翫(め)デテ[㆓]其ノ山景ヲ[㆒]道(い)エラク、「霊(りょう)鷲(じゅ)山(せん)前(ぜん)ノ小峰一座、忽然トシテ不[㆑]見エ、‘原来’(なんと)飛ビテ到タルカト[㆓]此処ニ[㆒]。」当時人皆不[㆑]信セ。僧言エラク、「我記(き)シ得タルニ霊鷲山前ノ峰嶺(れい)ハ、喚ビテ做ス[㆓]霊鷲嶺ト[㆒]。這ノ山ノ洞(どう)裹(り)ニ有リ[㆓]個(いつぴき)ノ白(びゃく)猿(えん)[㆒]、看ヨト[㆓]我呼ビテ出(い)ダシテ為スヲ[㆒][㆑]験(しるし)ト。」‘果然’(はたせる)カナ呼ビ―[㆓]出ダシ白猿ヲ[㆒]来タレリ。山(さん)前ニ有リ[㆓]一(いち)亭(てい)[㆒]、今ハ喚ビテ做ス[㆓]冷泉(ぜん)亭ト[㆒]。

    又有一座孤山、生在西湖中。先曽有林和靖先生在此山隠居、使人搬挑泥石、砌成一条走路、東接断橋、西接棲霞嶺、因此喚作孤山路。

    又唐時有刺史白楽天、築一条路、南至翠屏山、北至棲霞嶺、喚做白公堤、不時被山水衝倒、不只一番、用官銭修理。後宋時蘇東坡来做太守、因見有這両条路被水沖壊、就買木石、起人夫築得堅固。六橋上朱紅欄杆、堤上栽種桃柳、到春景融和、端的十分好景、堪描入画、後人因此只喚做蘇公堤。又孤山路畔、起造両条石橋、分開水勢、東辺喚做断橋、西辺喚做西寧橋。真乃、

    隠隠山蔵三百寺

    依稀雲鎖二高峰

    説話的、只説西湖美景、仙人古跡。俺今日且説一個俊俏後生、只因遊玩西湖、遇着両個婦人、直惹得幾処州城、鬧動了花街柳巷。有分教才人把筆、編成一本風流話本。単説那子弟、姓甚名誰。遇着甚般様的婦人。惹出甚般様事。有詩為証、

    清明時節雨紛紛

    路上行人欲断魂

    借問酒家何処有

    牧童遥指杏花村

    話説宋高宗南渡、紹興年間、杭州臨安府過軍橋黒珠巷內、有一個宦家、姓李、名仁。見做南廊閣子庫募事官、又与邵太尉管銭糧。家中妻子有一個兄弟許宣、排行小乙。他爹曽開生薬店、自幼父母双亡、却在表叔李将仕家生薬鋪做主管、年方二十二歳。那生薬店開在官巷口。

    忽一日、許宣在鋪內做買売、只見一個和尚来到門首、打個問訊、道、「貧僧是保叔塔寺內僧、前日已送饅頭並巻子在宅上。今清明節近、追修祖宗、望小乙官到寺焼香、勿誤。」許宣道、「小子准来。」和尚相別去了。許宣至晩帰姐夫家去。

    原来許宣無有老小、只在姐姐家住。当晩与姐姐説、「今日保叔塔和尚来請焼絪子、明日要薦祖宗、走一遭了来。」次日早起、買了紙馬、蠟燭、経幡、銭垜一応等項、吃了飯、換了新鞋襪衣服、把𥯃子、銭馬使条袱子包了、径到官巷口李将仕家来。李将仕見、問許宣何処去、許宣道、「我今日要去保叔塔焼絪子、追薦祖宗、乞叔叔容暇一日。」李将仕道、「你去便回。」

    許宣離了鋪中、入寿安坊、花市街、過井亭橋、往清河街後銭塘門、行石函橋、過放生碑、径到保叔塔寺。尋見送饅頭的和尚、懺悔過疏頭、焼了𥯃子、到仏殿上看衆僧念経。吃斎罷、別了和尚、離寺迤邐間走、過西寧橋、孤山路、四聖観、来看林和靖墳、到六一泉間走。不期雲生西北、霧鎖東南、落下微微細雨、漸大起来。正是清明時節、少不得天公応時、催花雨下、那陣雨下得綿綿不絶。許宣見腳下湿、脱下了新鞋襪、走出四聖観来尋船、不見一隻。正没擺布処、只見一個老児揺着一隻船過来。許宣暗喜、認時、正是張阿公。叫道、「張阿公、搭我則個。」老児聴得叫、認時、原来是許小乙。将船揺近岸来、道、「小乙官、着了雨、不知要何処上岸。」許宣道、「涌金門上岸。」這老児扶許宣下船、離了岸、揺近豊楽楼来。

    揺不上十数丈水面、只見岸上有人叫道、「公公、搭船則個。」許宣看時、是一個婦人、頭戴孝頭髻、烏雲畔挿着些素釵梳、穿一領白絹衫児、下穿一条細麻布裙。這婦人肩下一個丫鬟、身上穿着青衣服、頭上一双角髻、戴両条大紅頭須、挿着両件着飾、手中捧着一個包児、要搭船。那老張対小乙官道、「因風吹火、用力不多、一発搭了他去。」許宣道、「你便叫他下来。」老児見説、将船傍了岸辺、那婦人同丫鬟下船、見了許宣、起一点朱唇、露両行砕玉、向前道一個万福。許宣慌忙起身答礼。那娘子和丫鬟艙中坐定了、娘子把秋波頻転、瞧着許宣。許宣平生是個老実之人、見了此等如花似玉的美婦人、傍辺又是個俊俏美女様的丫鬟、也不免動念。

    那婦人道、「不敢動問官人、高姓尊諱。」許宣答道、「在下姓許、名宣、排行第一。」婦人道、「宅上何処。」許宣道、「寒舎住在過軍橋黒珠児巷、生薬鋪內做買売。」那娘子問了一回、許宣尋思道、「我也問他一問。」起身道、「不敢拝問娘子高姓。潭府何処。」那婦人答道、「奴家是白三班白殿直之妹、嫁了張官人、不幸亡過了、見葬在這雷嶺。為因清明節近、今日帯了丫鬟、往墳上祭掃了方回。不想值雨、若不是搭得官人便船、実是狼狽。」又間講了一回、迤邐船揺近岸。只見那婦人道、「奴家一時心忙、不曽帯得盤纏在身辺、万望官人処借些船銭還了、並不有負。」許宣道、「娘子自便、不妨、些須船銭、不必計較。」還罷船銭、那雨越不住、許宣挽了上岸。那婦人道、「奴家只在箭橋双茶坊巷口、若不棄時、可到寒舎拝茶、納還船銭。」許宣道、「小事何消掛懐。天色晩了、改日拝望。」説罷、婦人共丫鬟自去。

    許宣入涌金門、従人家屋檐下到三橋街、見一個生薬鋪、正是李将仕兄弟的店。許宣走到鋪前、正見小将仕在門前。小将仕道、「小乙哥、晩了那裡去。」許宣道、「便是去保叔塔焼𥯃子、着了雨、望借一把傘則個。」将仕見説、叫道、「老陳、把傘来与小乙官去。」不多時、老陳将一把雨傘撐開、道、「小乙官、這傘是清湖八字橋老実舒家做的、八十四骨、紫竹柄的好傘、不曽有一些児破、将去休壊了。仔細、仔細。」許宣道、「不必分付。」接了傘、謝了将仕、出羊壩頭来、到後市街巷口。只聴得有人叫道、「小乙官人。」許宣回頭看時、只見沈公井巷口小茶坊屋檐下、立着一個婦人、認得正是搭船的白娘子。

    許宣道、「娘子如何在此。」白娘子道、「便是雨不得住、鞋児都踏湿了。教青青回家取傘和腳下。又見晩下来、望官人搭幾歩則個。」許宣和白娘子合傘到壩頭、道、「娘子到那裡去。」白娘子道、「過橋投箭橋去。」許宣道、「小娘子、小人自往過軍橋去、路又近了、不若娘子把傘将去、明日小人自来取。」白娘子道、「却是不当、感謝官人厚意。」許宣沿人家屋檐下冒雨回来、只見姐夫家当直王安拿着釘靴雨傘来接不着、却好帰来。

    到家內吃了飯。当夜思量那婦人、翻来覆去睡不着。夢中共日間見的一般、情意相濃。不想金雞叫一声、却是南柯一夢。正是、

    心猿意馬馳千里

    浪蝶狂蜂鬧五更

    「李娃伝」

    金文京『中国小説選』

    汧国夫人李娃、長安之倡女也。節行瑰奇、有足称者。故監察御史白行簡為伝述。   天宝中、有常州刺史滎陽公者、略其名氏、不書、時望甚崇、家徒甚殷。知命之年、有一子、始弱冠矣、雋朗有詞藻、迥然不群、深為時輩推伏。其父愛而器之、曰、「此吾家千里駒也。」   応鄉賦秀才舉、将行、乃盛其服玩車馬之飾、計其京師薪儲之費。謂之曰、「吾観爾之才、当一戦而覇。今備二載之用、且豊爾之給、将為其志也。」生亦自負、視上第如指掌。自毗陵発、月余抵長安、居於布政里。   嘗游東市還、自平康東門入、将訪友於西南。至鳴珂曲、見一宅、門庭不甚広、而室宇厳邃、闔一扉、有娃方憑一双髻青衣立、妖姿要妙、絶代未有。生忽見之、不覚停驂久之、徘徊不能去。乃詐墜鞭於地、候其従者勅取之、累眄於娃、娃回眸凝睇、情甚相慕、竟不敢措辞而去。   生自爾意若有失、乃密徴其友遊長安之熟者、以訊之。友曰、「此狭邪女李氏宅也。」曰、「娃可求乎。」対曰、「李氏頗贍、前与通之者多貴戚豪族、所得甚広、非累百万、不能動其志也。」生曰、「苟患其不諧、雖百万、何惜。」   他日、乃潔其衣服、盛賓従、而住扣其門、俄有侍児啟扃。生曰、「此誰之第耶。」侍児不答、馳走大呼曰、「前時遺策郎也。」娃大悦曰、「爾姑止之、吾当整妝易服而出。」生聞之私喜。乃引至蕭牆間、見一姥垂白上僂、即娃母也。生跪拝前致詞曰、「聞茲地有隙院、願税以居信乎。」姥曰、「懼其浅陋湫隘、不足以辱長者所処、敢言直耶。」延生於遅賓之館、館宇甚麗。与生偶坐、因曰、「某有女嬌小、技芸薄劣、欣見賓客、願将見之。」乃命娃出、明眸皓腕、舉歩豔冶。生遽驚起、莫敢仰視。与之拝畢、敘寒燠、触類妍媚目所未覩。復坐、烹茶斟酒、器用甚潔。   久之、日暮、鼓声四動。姥訪其居遠近、生紿之曰、「在延平門外数里。」冀其遠而見留也。姥曰、「鼓已発矣、当速帰、無犯禁。」生曰、「幸接歓笑、不知日之雲夕、道里遼闊、城內又無親戚、将若之何。」娃曰、「不見責僻陋、方将居之、宿何害焉。」生数目姥、姥曰、「唯唯。」生乃召其家僮、持双縑、請以備一宵之饌。娃笑而止之曰、「賓主之儀、且不然也。今夕之費、願以貧窶之家、随其粗糲以進之。其余以俟他辰。」固辞、終不許。   俄徙坐西堂、帷幙簾榻、煥然奪目。妝奩衾枕、亦皆侈麗。乃張燭進饌、品味甚盛。徹饌、母起。生娃談話方切、詼諧調笑、無所不至。生曰、「前偶過卿門、遇卿適在屏間。厥後心常勤念、雖寝与食、未嘗或捨。」娃答曰、「我心亦如之。」生曰、「今之来、非直求居而已。願償平生之志、但未知命也若何。」言未終、姥至、詢其故、具以告。姥笑曰、「男女之際、大欲存焉。情苟相得、雖父母之命、不能制也。女子固陋、曷足薦君子之枕席。」生遂下階、拝而謝之曰、「願以己為廝養。」姥遂目之為「郎」、飲酣而散。   及旦、尽従其囊橐、因家於李之第。自是生屏跡戢身、不復与親知相聞、日会倡優儕類、狎戯游宴。囊中尽空、乃鬻駿乗、及其家童。歳余、資財僕馬蕩然。邇来姥意漸怠、娃情弥篤。   他日、娃謂生曰、「与郎相知一年、尚無孕嗣。常聞竹林神者、報応如響、将致薦酹求之、可乎。」生不知其計、大喜。乃質衣於肆、以備牢醴、与同謁祠宇而祷祝焉。信宿而返。策驢而後至里北門、娃謂生曰、「此東転小曲中、某之姨宅也。将憩而覲之、可乎。」生如其言、前行不踰百歩、果見一車門。窺其際、甚弘敞。其青衣自車後止之曰、「至矣。」生下、適有一人出訪曰、「誰。」曰、「李娃也。」乃入告。俄有一嫗至、年可四十余、与生相迎、曰、「吾甥来否。」娃下車、嫗逆訪之曰、「何久疏絶。」相視而笑。娃引生拝之。既見、遂皆入西戟門偏院、中有山亭、竹樹蔥蒨、池榭幽絶。生謂娃曰、「此姨之私第耶。」笑而不答、以他語対。俄献茶果、甚珍奇。食頃、有一人控大宛、汗流馳至、曰、「姥遇暴疾頗甚、殆不識人、宜速帰。」娃謂姨曰、「方寸乱矣、某騎而前去、当令返乗、便与郎偕来。」生擬随之、其姨与侍児偶語、以手揮之、令生止於戶外、曰、「姥且歿矣、当与某議喪事以済其急、奈何遽相随而去。」乃止、共計其凶儀斎祭之用。日晩、乗不至。姨言曰、「無復命、何也。郎驟往覘之、某当継至。」生遂往、至旧宅、門扃鑰甚密、以泥緘之。生大駭、詰其隣人。隣人曰、「李本税此而居、約已周矣。第主自収。姥徙居、而且再宿矣。」徴徙何処。曰、「不詳其所。」生将馳赴宣陽、以詰其姨、日已晩矣、計程不能達。乃弛其装服、質饌而食、賃榻而寝、生恚怒方甚、自昏達旦、目不交睫。質明、乃策蹇而去。既至、連扣其扉、食頃無人応。生大呼数四、有宦者徐出。生遽訪之、「姨氏在乎。」曰、「無之。」生曰、「昨暮在此、何故匿之。」訪其誰氏之第、曰、「此崔尚書宅。昨者有一人税此院、雲遅中表之遠至者、未暮去矣。」   生惶惑発狂、罔知所措、因返訪布政旧邸。邸主哀而進膳。生怨懣、絶食三日、遘疾甚篤、旬余愈甚、邸主懼其不起、徙之於凶肆之中、緜綴移時、合肆之人共傷歎而互飼之。後稍愈、杖而能起。由是凶肆日仮之、令執繐帷、獲其直以自給。累月、漸復壮、毎聴其哀歌、自歎不及逝者、輒嗚咽流涕不能自止。帰則効之。生、聡敏者也、無何、曲尽其妙、雖長安無有倫比。   初、二肆之傭兇器者、互争勝負。其東肆車輦皆奇麗、殆不敵、惟哀輓劣焉。其東肆長知生妙絶、乃醵銭二万索顧焉。其党耆旧、共較其所能者、陰教生新声、而相讚和。累旬、人莫知之。其二肆長相謂曰、「我欲各閲所傭之器於天門街、以較優劣、不勝者罰直五万、以備酒饌之用、可乎。」二肆許諾。乃邀立符契、署以保証、然後閲之。士女大和会、聚至数万。於是里胥告於賊曹、賊曹聞於京尹、四方之士、尽赴趨焉、巷無居人。   自旦閲之、及亭午、歴舉輦輿威儀之具、西肆皆不勝、師有慚色。乃置層榻於南隅、有長髯者擁鐸而進、翊衛数人、於是奮髯揚眉、扼腕頓顙而登、乃歌〈白馬〉之詞、恃其夙勝、顧眄左右、旁若無人。斉声讚揚之、自以為独歩一時、不可得而屈也。有頃、東肆長於北隅上、設連榻、有烏巾少年、左右五六人、秉翣而至、即生也。整衣服、俯仰甚徐、申喉発調、容若不勝。乃歌〈薤露〉之章、舉声清越、響振林木、曲度未終、聞者歔欷掩泣。西肆長為衆所誚、益慚恥、密置所輸之直於前、乃潜遁焉。四座愕眙、莫之測也。   先是、天子方下詔、俾外方之牧歳一致闕下、謂之入計。時也適遇生之父在京師、与同列者易服章窃往観焉。有老豎、即生乳母壻也、見生之舉措辞気、将認之而未敢、乃泣然流涕。生父驚而詰之、因曰、「歌者之貌、酷似郎之亡子。」父曰、「吾子以多財為盗所害、奚至是耶。」言訖、亦泣。及帰、豎間馳往、訪於同党曰、「向歌者誰、若斯之妙歟。」皆曰、「某氏之子。」徴其名、且易之矣。豎凜然大驚。徐往、迫而察之。生見豎色動、迴翔将匿於衆中。豎遂持其袂曰、「豈非某乎。」相持而泣、遂載以帰。至其室、父責之曰、「志行若此、污辱吾門、何施面目、復相見也。」乃徒行出、至曲江西杏園東、去其衣服。以馬鞭鞭之数百。生不勝其苦而斃、父棄之而去。   其師命相狎暱者陰随之、帰告同党、共加傷歎。令二人齎葦席瘞焉。至、則心下微温。舉之、良久、気稍通、因共荷而帰、以葦筒灌勺飲、経宿乃活。月余、手足不能自舉。其楚撻之処皆潰爛、穢甚。同輩患之、一夕、棄於道周。行路咸傷之、往往投其余食、得以充腸。十旬、方杖策而起。被布裘、裘有百結、襤褸如懸鶉。持一破甌、巡於閭里、以乞食為事。自秋徂冬、夜入於糞壌窟室、昼則周遊廛肆。   一旦大雪、生為凍餒所駆、冒雪而出、乞食之声甚苦。聞見者莫不悽惻。時雪方甚、人家外戶多不発。至安邑東門、循理垣北転第七八、有一門独啓左扉、即娃之第也。生不知之、遂連声疾呼。饑凍之甚、音響悽切、所不忍聴。娃自閤中聞之、謂侍児曰、「此必生也、我弁其音矣。」連歩而出、見生枯瘠疥厲、殆非人状。娃意感焉、乃謂曰、「豈非某郎也。」生憤懣絶倒、口不能言、頷頭而已。娃前抱其頸、以繡襦擁而帰於西廂、失声長慟曰、「令子一朝及此、我之罪也。」絶而復蘇。姥大駭奔至、曰、「何也。」娃曰、「某郎。」姥遽曰、「当逐之、奈何令至此。」娃斂容却睇曰、「不然、此良家子也、当昔駆高車、持金装、至某之室、不踰期而蕩尽。且互設詭計、捨而逐之、殆非人。令其失志、不得歯於人倫。父子之道、天性也、使其情絶、殺而棄之、又困躓若此。天下之人尽知為某也。生親戚満朝、一旦当権者熟察其本末、禍将及矣。況欺天負人、鬼神不祐、無自貽其殃也。某為姥子、迨今有二十歳矣。計其貲、不啻直千金。今姥年六十余、願計二十年衣食之用以贖身、当与此子別卜所詣。所詣非遥、晨昏得以温凊、某願足矣。」姥度其志不可奪、因許之。給姥之余、有百金。北隅因五家税一隙院。乃与生沐浴、易其衣服。為湯粥、通其腸。次以酥乳潤其臓。旬余、方薦水陸之饌。頭巾履襪、皆取珍異者衣之。未数月、肌膚稍腴。卒歳、平愈如初。   異時、娃謂生曰、「体已康矣、志已壮矣。渕思寂慮、黙想曩昔之芸業、可温習乎。」生思之、曰、「十得二三耳。」娃命車出遊、生騎而従。至旗亭南偏門鬻墳典之肆、令生揀而市之、計費百金、尽載以帰。因令生斥棄百慮以志学、俾夜作昼、孜孜矻矻。娃常偶坐、宵分乃寐。伺其疲倦、即諭之作詩賦。二歳而業大就、海內文籍、莫不該覧。生謂娃曰、「可策名試芸矣。」娃曰、「未也、且令精熟、以俟百戦。」更一年、曰、「可行矣。」於是遂一上登甲科、声振礼闈。雖前輩見其文、罔不斂衽敬羨、願友之而不可得。娃曰、「未也。今秀士苟獲擢一科第、則自謂可以取中朝之顕職、擅天下之美名。子行穢跡鄙、不侔於他士。当礱淬利器、以求再捷、方可連衡多士、争覇群英。」生由是益自勤苦、声価弥甚。其年、遇大比、詔徴四方之雋、生応直言極諫科、策名第一、授成都府参軍。三事以降、皆其友也。   将之官、娃謂生曰、「今之復子本軀、某不相負也。願以残年、帰養老姥。君当結媛鼎族、以奉蒸嘗。中外婚媾、無自瀆也。勉思自愛、某従此去矣。」生泣曰、「子若棄我、当自剄以就死。」娃固辞不従、生勤請弥懇。娃曰、「送子渉江至於剣門、当令我回。」生許諾。   月余、至剣門。未及発而除書至、生父由常州詔入、拝為成都尹、兼剣南採訪吏。浹辰、父到。生因投刺、謁於郵亭。父不敢認、見其祖父官諱、方大驚、命登階、撫背慟哭。移時、曰、「吾与爾父子如初。」因詰其由、具陳其本末。大奇之、詰娃安在。曰、「送某至此、当令復還。」父曰、「不可。」翌日命駕、与生先之成都、留娃於剣門、築別館以処之。明日、命媒氏通二姓之好、備六礼以迎之、遂如秦晋之偶。   娃既備礼、歳時伏臘、婦道甚修、治家厳整、極為親所眷。向数歳、生父母偕歿、持孝甚至、有霊芝産於倚廬。一穂三秀、本道上聞、又有白燕数十、巣其層甍。天子異之、寵其加等。終制、累遷清顕之任。十年間、至数郡。娃封汧国夫人。有四子、皆為大官。其裨者、猶為太原尹。弟兄姻媾皆甲門、內外隆盛、莫之与京。   嗟乎、倡蕩之姫、節行如此、雖古先烈女、不能踰也、焉得不為之歎息哉。予伯祖嘗牧晋州、転戶部、為水陸運使、三任皆与生為代、故諳詳其事。貞元中、予与隴西公佐話婦人操烈之品格、因遂述汧国之事。公佐拊掌竦聴、命予為伝。乃握管濡翰、疏而存之。時乙亥歳秋八月、太原白行簡雲。

    「杜子春」

    金文京『中国小説選』

    「牡丹灯記」

    金文京『中国小説選』

    方氏之拠浙東也、毎歳元夕、於明州張灯五夜。傾城士女、皆得縦観、至正庚子之歳、有喬生者、居鎮明嶺下。初喪其偶、鰥居無聊、不復出遊、但倚門佇立而已。十五夜三更尽、遊人漸稀。見一丫鬟、挑双頭牡丹灯前導、一美人随後、約年十七八、紅裙翠袖、妍妍媚媚蹁躚投西而去。生於月下視之、韶顔稚歯、真国色也。神魂飄蕩、不能自持、乃尾之而去、或先之、或後之。行数十歩、女忽回顧而微哂曰、「初無桑中之期、乃有月下之遇、事非偶然也。」生即趨前揖之曰、「敝居咫尺、佳人可能回顧否。」女無難意、即呼丫鬟曰、「金蓮可挑灯同往也。」於是金蓮復回。生与女携手至家、極其歓昵。自以為巫山、洛浦之遇、不是過也。生問其姓名、居址、女曰、「姓符、麗卿其字、淑芳其名。故奉化州判女也。先人既没、家事零替、既無兄弟、仍鮮族党、止妾一身、遂与金蓮僑居湖西耳。」生留之宿。態度精妍、詞気婉媚、低篩昵枕、甚相歓愛。天明辞別而去、及暮則又至。

    如是者将半月。隣翁疑焉、穴壁窺之、則見一粉妝髑髏、与生並坐於灯下、大駭。明日詰之、秘不肯言。隣翁曰、「嘻、子禍矣。人乃至盛之純陽、鬼乃幽陰之邪穢。今子与幽陰之魅同処而不知、与邪穢之物共宿而不悟、一日真元泄尽、災眚来臨、惜乎以青春之年、而遽為黄泉之客也、可不悲夫!」生始驚懼、備述厥由。隣翁曰、「彼言僑居湖西、子往訪問之、則可知矣。」生如其教、逕投月湖之西、往来於長堤之上、高橋之下、訪於居人、詢於過客、並言無有。日将夕、乃適入湖心寺少憩。行過東廊、復転西廊、廊尽復得一暗室、則有旅櫬、白紙題其上曰、「故奉化符州判女麗卿之柩」。柩前懸一双頭牡丹灯、灯下立一盟器女子、背上有二字曰金蓮。生見之、毛髪尽豎、寒慄遍身、奔走出寺、不敢回顧。是夜借宿隣翁之家、憂怖之色可掬。隣翁曰、「玄妙観魏法師、放開府王真人弟子、符篆為当今第一、汝宜急往求焉。」明日、生詣観內。法師望見其至、驚曰、「妖気甚濃、何為来此?」生拝於座下、具述其事。法師以朱書符二道授之、令其一置於門、一懸於榻、仍戒不得再往湖心寺。生受符而帰、如法安頓、自此果不来矣。

    一月有余、往袞繡橋訪友、留飲至酔、却忘法師之戒、逕取湖心寺路以回。将及寺門、復見金蓮迎拝於前曰、「娘子久待、何一向薄情如是。」遂与生俱入內廊、直抵室中。女子宛然在坐、数之曰、「妾与君素非相識、偶於灯下一見、感君之意、遂以全体事君。暮往朝来、与君不薄、奈何信妖道土之言、遽生疑惑、便欲永絶。薄倖如是、妾恨之深矣、今幸得見、豈能相舎。」即握生手至於柩前、枢忽自開、擁之同入、随即閉矣、遂死於枢中、隣翁怪其不帰、遠近尋問。及至寺中停柩之室、見生之衣裙微露於柩外。請於寺中、問之於主僧而発之、死已久矣。与女子之屍、俯仰臥於枢內。女貌如生焉。寺僧歎曰、「此奉化州判符君之女也。死時年十有七。権厝於此、舉家遠去、竟絶音耗、至今十有三年矣。不意作怪如是。」遂以屍柩及生、殯於西門之外。

    是後雲陰之昼、月黒之宵、往往見生与女子携手同行、一丫鬟挑双頭牡丹灯前導。遇之者輒得重疾、寒熱交作。薦以功徳、祭以牢醴、庶可獲痊、否則不起矣。居人大懼、竟往玄妙観謁魏法師而訴焉。法師曰、「吾之符篆、止能治其未然。今祟成矣、非吾之所知也。聞有鉄冠道人者、見居四明山頂、考劾鬼神、法術霊験、汝輩宜往求之。」眾遂至山、攀縁藤葛、驀越谿澗、其上絶頂、果有草庵一所。道人凴幾而坐、方看道童調鶴。眾羅拝庵下、告以来故。道人曰、「山林隠士、旦暮且死、烏有奇術。君輩過聴矣。」拒之甚堅、眾曰、「某本不知、蓋玄妙観魏法師所指教耳。」道人曰、「吾老矣、不復下山、已六十余年。小子饒舌、煩吾一行。」即与童子下山、歩履軽捷、逕至西門外、結方丈之壇、踞席端坐、書符焚之。忽見符吏数輩、黄巾帛祆、金甲雕戈、長皆丈余、屹立壇下、鞠躬請命、貌甚虔粛。道人曰、「此間有邪祟為禍、驚擾生民、汝輩豈不知耶?宜疾駆之至!」受命即往、不移時、以枷鎖押女子与生並金蓮、俱到壇所、鞭捶揮撲、流血淋漓。道人河責良久、令其供状。将吏遂以紙筆授之、俱各供数百言。今録其略於此。

    喬生供曰、「伏念某喪室鰥居、倚門独立、犯在色之戒、動多欲之求。不能効孫叔見両頭蛇而決断、乃致如鄭子逢九尾狐而愛憐。事既莫追、悔将奚及。」符女供曰、「伏念某青年棄世、白昼無隣、六魄雖離、一霊未混。灯前月下、逢五百年歓喜冤家、世上民間、作千万人風流話本。迷不知返、罪安可逃。」金蓮供曰、「伏念某殺青為骨、梁素成胎、墳隴埋蔵、是誰作俑。而用面目機発、比人具本而微。既有名字之称、可乏精霊之異。因而得計、豈敢為妖。」

    供畢、将吏取呈。道人以巨筆判曰、「蓋聞、大禹鋳鼎、而神斂鬼秘、莫得逃其形、温嶠燃犀、而水府竜宮、俱得見其状。惟幽明之異趣、乃詭怪之多端、遇之者不利於人、遭之者有害於物。故大厲入門、而晋景歿、妖豕啼野、而斉襄殂。降禍為妖、興災作孽。是以九天設斬邪之所、十地分罰悪之司。使魑魅魍魎、無以容其奸、夜叉羅剎、不得肆其暴。矧此清平之世、坦蕩之時、而乃変幻形軀、依草附木、天陰雨湿之夜、月落参横之辰、嘯於梁而有声、窺其室而無睹。蠅営狗苟、羊狠狼貪。疾如飄風、烈若猛火。喬家子生猶不悟、死何恤焉、符氏女死尚貪淫、生可知矣。況金蓮之怪誕、仮盟器以成形、惑世誣民、違条犯法。狐綏綏而有蕩、鶴奔奔而無良。悪貫已盈、罪名不宥。陥人坑従今填満、迷魂陣自此打開、焼燬双明之灯、押赴九幽之獄、沉淪陰臀、永無出期。、

    判詞已具、主者奉行。急急如律令。即見此三鬼、悲啼躑躅、為将吏駆而去。道人払袖入山。明日眾姓往謝之、不復可見、止有草庵存焉。急往玄妙観訪魏法師、而審問其故、其法師則已病暗啞、不能言矣。

    外部リンク

    1. 説岳全伝
    2. 西遊記 (archived)